「ベトナムでの勇気」を売る男

執筆者:徳岡孝夫2004年4月号

 日米修好通商条約の批准書を携えて渡米した新見豊前守以下の万延元年(一八六〇年)遣米使節団は、頭にチョンマゲを載せ腰に大小をたばさんだサムライ七十七人だった。ワシントン、ニューヨークで歓迎宴に引っ張り出されたのに、イブニングドレスに装った貴婦人方に接待され、少しも喜ばなかった。逆に、諸肌ぬぎで客の前に出るとは何事かと軽蔑した。 当時、日本女性が諸肌を脱ぐのは、男の目に触れぬ場所で、鏡に向かって化粧するときだけだった。イスラムの女は、今日なお見せない。 私が遣米使節団と同じように船で米国留学に旅立ったのは、ちょうど百年後、一九六〇年の夏である。百年は長いようで短い。私の精神構造は、おそらく遣米サムライ使節を隔たること遠くなかろう。四年ごとのアメリカ大統領選を見て、何たるはしたないことかと眉をひそめる。予備選挙の段階から、候補者は壇上、衆人環視のうちに女房を抱いて接吻する。二度三度とする。ええ加減にせえよと私は言いたくなる。 アメリカ人はあれを見て、ああこの人は妻を愛している、家庭を大事にする人だと思って投票するのか。政治家の演技に騙され、ハピネスの幻想に酔うのか。 今年の大統領選では、キスに加えてジョン・ケリーという「戦争英雄」が予想を超える人気を集め、後は民主党の指名待ちという形勢になっている。やれやれ、こいつは家庭と戦争という幻想のスプリットタンで有権者を捕食する気かと、私はシラケて眺めている。

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