あの中国に「ない」もの

執筆者:徳岡孝夫2004年5月号

 私が台湾に何となく好意を抱くのは、茶碗屋のオバサンのせいである。 新聞社のバンコク特派員になって半年後に家族を呼び寄せた。一家が暮らすにはまず「食」の心配、それより先に一応の食器の用意が要る。六〇年代後半、バンコクに一軒だけ、日本語を喋る台湾人のオバサンの営む瀬戸物屋があった。妻を連れていった。 女の買い物は品定めに手間がかかる。いろいろオバサンに質問する。そばで聞いていて、私は驚いた。応対するオバサンの日本語が、実に美しいのである。「あら、それがお気に召しませんようなら、こちらに色違いのがございます」などと言っている。店には若い日本人の主婦も来ていたが、あまりにも綺麗な日本語に押され、客の方がハイハイと恐縮している。 聞いていて私は「あ、これは昭和二十年の日本語だ」と気付いた。統治終了の時点で、彼女の日本語は凍結している。われわれも昭和二十年には、こういう美しい言葉を喋っていたのだ。 家庭では夫人と日本語で話しているという李登輝前総統も、折目正しい日本語を遣うという。最近インタビューした知人に聞いた。 その台湾が、大変なことになっている。全島が投票した総統選で陳水扁と連戦の得票差がわずか三万票というのも凄いが、連戦氏を立てて負けた国民党の荒れ様は、英語でいうプア・ルーザー(往生際の悪い敗者)はこれかと思わせる。ブッシュvs.ゴアの開票も揉めたが、台湾の国民党派は総統選そのものが無効だなどと極端なことを言う。そんな言い分が通れば、民主主義はいらない。あらゆる勝負がパーになる。

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