国連大使に転じた著者が森内閣成立から自衛隊イラク派遣までの三年半に書いた政治・外交論集が本書『日本の自立』(中央公論新社)である。著者の立場を知る読者には、書名が意外あるいは挑戦的に映る。副題「対米協調とアジア外交」で合点がいくが、あえて「日本の自立」を書名にしたのは、対米協調路線を「対米追随」と見る、いわゆる対米自立論への批判を込め、対米協調こそ日本の自立の道と考えたのだろう。 三年半の間に米国はアフガニスタンとイラクで戦争を始めた。とりわけイラク戦争は、国連安保理の場で仏独と米英とが対立し、それが解けぬまま開戦したため、対米協力を対米追随とする見方は世界中で勢いを得た。日本でも仏独のような対米自立姿勢をとるべきだとする議論があった。対米自立論者は、対米協調論を「湾岸トラウマ」と批判した。湾岸トラウマとは、一九九〇年の湾岸危機から九一年の湾岸戦争に至る過程で日本の対米支援の方法がまずかったため米国世論の感情的反発を招いた事実を重視する考え方である。 九〇年末、在米日本大使館の政務、広報担当公使が国務省担当記者を集め、日本の支援内容を説明した。ヨルダンなど周辺国支援に円借款が含まれると解説され、普段温厚な米経済紙の老記者が「利息をとってカネを貸すのが日本の支援か」と質した。大島賢三公使が「極めて寛大な条件のローンです」と苦しく答えた。老記者ら数人が「米国の若者の血は返ってこないぞ」と怒りだした。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。