この本は、日本長期信用銀行の破綻と新生銀行としての再出発を題材としたノンフィクションである。しかし、企業や業界の内幕物というような、ありきたりな企業ノンフィクションとは違う。むしろ、日本の戦後復興、バブル経済発生からその後の長期不況にいたる数十年の歴史を、長銀の破綻と再生という切り口から描き出した一種の大河小説のような趣がある。『セイビング・ザ・サン』(日本経済新聞社)の三人の主人公は、破綻当時の長銀頭取・大野木克信、その長銀を買収したリップルウッド・グループを率いるティモシー・コリンズ、そして、この銀行の再生を託された新生銀行社長の八城政基である。 大野木は、勤勉と協調を旨とする旧来の日本的価値を代表する者として描かれる。彼の人生を通して日本金融界の戦後復興とバブル経済へ傾斜していく経緯が丁寧に記述されている。コリンズは、競争と効率を通して世界が良くなることを信じるアメリカ的価値の体現者である。そして、八城は、日本とアメリカの双方の企業文化を理解し、そのはざまで様々な摩擦と非難を一身に受けながらも、銀行の再生に救世主的な使命感を燃やす。 本書に記述された長銀にまつわる生々しい出来事ひとつひとつの真実性については、評者は判断できる立場にないが、不良債権問題や日本の長期不況の経過に関する著者の分析には同意するところが多い。長期不況が不良債権を悪化させるだけでなく、不良債権問題が不況をひどくしている、という認識を著者は持っているわけだが、おそらく、これに対しては、「著者は、ミクロな銀行問題に目を奪われて、デフレというマクロ現象が不良債権を悪化させたことを軽視している」という批判が聞こえて来そうだ。デフレが諸悪の根元だから、日銀の金融緩和でインフレを起こせば問題は解決する、という議論は、著者ジリアン・テットが勤務した英紙フィナンシャル・タイムズでも有力な論調だった。しかし、本書は、デフレが進むはるか以前から、大銀行に膨大な不良債権が隠されていたことを淡々と描き出す。こうした事実や、また、著者自身が本書を書く出発点となったと述べている事件(本間忠世・元日銀理事の死)などを想起するとき、軽々しい経済論議はできない、との思いを新たにさせられる。

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