平凡だが特別な、「六月十六日」

執筆者:サリル・トリパシー2004年7月号

アイルランドの首都ダブリンは、今年ジェームズ・ジョイスの『ユリシーズ』百周年を祝う。その深遠な意味とは――。[ロンドン発]六月十六日、何千人という人々がアイルランドの首都ダブリンに集まって、ごくありきたりな、にもかかわらず特別な一日の百周年を祝う。それは、ある小説家が本の中に作り出した空想の一日でしかない。しかし、その一日を知るために、毎年、世界中で何万人もの人が、分厚く難解なその本の頁をめくる。批評家は今も恭しくその本が及ぼした影響を語り、学者は隠された謎を解こうと研究を続けている。 平凡だが特別な、一九〇四年六月十六日。「二十世紀の最高傑作」と評されるジェームズ・ジョイスの『ユリシーズ』の舞台となった日である。それは、現代文学が産声を上げた日でもある。この作品は、あまりの斬新さに英語圏の出版社がみな尻込みするなか、勇気ある米国人編集者、シルビア・ビーチの手によって、一九二二年、パリで出版された。『ユリシーズ』の主人公は、レオポルド・ブルームとスティーブン・ディーダラスという二人の平凡なダブリン市民である。小説は、この二人が送った一日を事細かに再現する。一九一五年にT. S. エリオットが書いた詩「J・アルフレッド・プルーフロックの恋歌」の言葉を借りるならば、ジョイスは「宇宙を絞って一つの球に丸めこみ、なにかどえらい疑問の方へ転がして」(『エリオット全集』中央公論社刊、深瀬基寛訳)いった。その疑問とは、「人生の意味とは何か」ということだ。そのためにジョイスは、登場人物に普通に話をさせるだけでなく、内的独白という手法を用いて、彼らの潜在意識にも言葉を与えた。

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