「神」で揺れるヨーロッパ

執筆者:大野ゆり子2004年7月号

 ヨーロッパのキリスト教徒にとって、はるか遠くエルサレムにあるキリスト磔刑の地や墓は、「世界の中心」と呼ばれる聖蹟である。十字軍がエルサレムを治めた前も後も、この地を訪れる巡礼は絶えることがなかった。歴史の中でキリスト教は、さまざまな宗派に分かれていくが、どの宗派にとってもこの聖地は、何としても占有したい場所であったらしい。この地に建立された「聖墳墓教会」内部には、それぞれの宗派が祭壇をたて、占有面積を一平方センチでも多くしようと、キリスト教各派は激しく争うようになっていく。十一世紀にギリシア正教会とローマ・カトリックがお互いを異端とするようになると、聖墳墓教会の一つ屋根の下にいる両派の僧同士の争いは激化し、イスラム教徒に仲裁してもらうことがしばしばとなった。 ドイツにいた折に、建築史の教授の手伝いで、聖墳墓教会をめぐる史料の分析に携わったことがあるが、ケンカの仲裁に入ったイスラム教徒の記録の中で、「彼ら(キリスト教徒)は、宗教がからむと、どうしてあのように争うのだろう。自分たちには考えられない」と驚いている記述があった。 最近、ヨーロッパ人が、全く同じ科白をイスラム教徒に対して言うのを耳にするので、ちょっと可笑しい。

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