サッカー「反日騒動」の陰にも胡―江の対立

執筆者:藤田洋毅2004年9月号

胡錦濤は江沢民のお膝もと上海を訪れ「特別扱いはしない」と明言、軍の人事にも手をつけ始めた。しかし江も引こうとはせず……。「“二つの司令部”に気兼ねして、多くの施策が中途半端になりがち。徹底しにくいのです」――中国筋は顔を曇らせる。中国共産党の胡錦濤総書記と江沢民中央軍事委主席という「二つの権力中心」のせめぎあいが、しだいに熱を帯びている。中国の威信を損ねたサッカーアジア杯における反日騒動も、胡と江の双方に配慮しなければならない関係当局が、「果断な対策を打ち出しにくかった」ためという。 重慶、済南で騒動が起こり、八月七日に北京で日中の決勝戦を迎えるにあたり、国務院は北京市当局と協議、スポーツ大会としては異例の態勢を敷いた。公安・武装警察合わせて四万七千人という大動員もさりながら、本来の主管部門である北京市公安局を飛び越え、公安省が直接、警備を指揮すると決めたのだ。 党中央の幹部は言った。「元来、反日運動に対し党中央は、(1)無視する(2)徹底的に抑える(3)煽る――という三つの態度を、その時々の対日関係によってと、国内の不満のガス抜きのため、使い分けてきたのです」。決勝戦を公安省が仕切ると決めたのは、(2)の抑え込む姿勢をとるはずだったことを示している。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。