東証の優雅な「官民調整」の間に

執筆者:喜文康隆2005年7月号

「電子メディアは、世界を一つの村ないし部族に縮小する。ここではあらゆるものごとが、あらゆる人に、同時に発生する……私たちも短期間に電子メディアによって部族化しつつある」(マーシャル・マクルーハン『メディアの文法』)     * 米国、欧州、そして日本で集中豪雨のように起きている証券取引所をめぐる再編、不祥事、そしてコーポレートガバナンス(企業統治)についての様々なニュース。 それは突き詰めれば、生き残り競争に晒された取引所が二つのテーマを同時に達成しようとして自己矛盾に陥っているという、「二律背反の物語」の表出である。「投資家に公正な取引環境を提供する“番犬”なのか。それとも取引所は先端技術を使って企業と投資家を結ぶサービス・プロバイダーなのか」――。 本来的に変わりにくい社会制度の変革スピードと、凄まじい勢いで進展するインターネット社会の現実との間に生じた、容易には埋まらない落差がここにある。“成り上がり者”たちの登場 ネットが生み出した、日本の金融・資本市場の劇的な変化を象徴する数字を二つ挙げよう。 一つは、個人の株式売買代金に占めるネット取引の比率である。日本証券業協会の調査によれば一九九九年度下期に六・七%だったこの比率は、わずか五年後の二〇〇四年度上期、八四%に達した。これまで特殊要因を強調してきた大手証券会社もこの流れは否定できず、ネット取引に本腰を入れ始めた。

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