ロンドンの経験が呼んだイギリス「テロ対策」の劇変

執筆者:マイケル・ビンヨン2005年9月号

ブレア首相は一連の厳しいテロ対策の導入を宣言、長年の“矛盾”を解消した。しかし、それですべてが解決するわけでもない。[ロンドン発]取り締まりの強化は、当然の措置だった。 七月七日の同時多発テロで五十六人が犠牲となり、わずか二週間後に同規模の被害を出したかもしれないテロ未遂が続いたのだ。イギリス社会は怒り、不安に陥った。そして何より、過激思想を野放しにしてきた自国の法律と自由主義団体に苛立ちを覚えた。人権を重視するあまり、イギリスは、若きムスリム(イスラム教徒)の憎しみを煽る過激派を逮捕することも国外追放にすることも、ほとんどしてこなかったからだ。 だが、情勢は変わった。夏の休暇に入る前の記者会見でブレア首相が激しい口調で宣言したように、「ゲームのルールは変わった」のだ。 今後、憎しみを煽ったり、あるいはテロリストを讃えるような言動をする外国人は、母国で迫害の危険があろうとなかろうと直ちに国外退去処分となる。テロに関係した者にイギリスへの亡命が認められることはない。そして英国内に過激思想を広めるモスク(イスラム教寺院)があれば、閉鎖されることになる。 それにしても、ここまでの劇的な変化を誰が予測しただろう。第二次大戦後のイギリスで、最も広範なものとなる一連のテロ対策が、数カ月のうちに法律として制定される。これまでイギリスは、テロリストや大陸ヨーロッパ諸国からイスラム過激派の「安息地」と見られてきたが、今後は、ジハードを叫び、自爆テロを殉教と讃える者にとって暮らしやすい場所ではなくなるはずだ。

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