「モンゴル頼み」で拉致問題は進展するのか

執筆者:平井久志2013年11月18日

 北朝鮮とモンゴルの関係を考える時、思い浮かぶシーンがある。1986年11月17日、韓国国防省スポークスマンが、休戦ラインにある北朝鮮側の韓国向け宣伝スピーカーが「金日成(キム・イルソン)主席が銃撃によって死亡した」と伝えていると発表し「金日成主席死亡説」が世界を走った。

 この死亡説は、数日前から東京やソウルで流れていたが、韓国国防省の発表で一気に信憑性を帯びた。11月17日夜は諸説が入り乱れた。筆者は当時、東京の外信部勤務だった。死亡なのかどうか各メディアとも朝刊の紙面作りに頭を悩ました。筆者が勤めていた通信社は、結局、両論併記だったと記憶している。朝刊の作業を終えると、会社から翌日すぐ韓国大使館へ向かってビザを取り、ソウルへ向かうよう言われた。

 翌日、韓国大使館のメディア担当に無理を言って即日ビザをもらった。そして、彼の部屋でテレビを見つめた。テレビは、モンゴルのバトムンフ人民革命党書記長が平壌の順安飛行場に到着した様子を映し出した。そして、次の瞬間、同書記長を歓迎するために空港まで出向いた金日成主席の元気そうな様子がテレビに映し出された。「金日成主席死亡説」は完全に誤報であることが全世界に伝えられた。

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