ジュネーブでの核協議は、イランの高濃縮ウラン製造停止などの見返りに、米欧が経済制裁の一部を緩和することで合意した。今後6カ月間、双方が合意の履行状況を見極める「第1段階の措置」の間に、包括的解決策を交渉するという11月24日の発表は、間違いなく歴史的な出来事だ。しかし安定した均衡解が中東に用意されたかと問われれば「否」である。イラン以外の中東の当事者たちはこれまでのポジションからの変更に踏み出そうとしており、新たなる不安定化要因が積み重なるからだ。これを展望するためには、まずなぜイランに対する経済制裁の強化が相当の期間持続したのかの分析から入らねばならない。

 

核開発と経済制裁

 2006年12月、国連安保理はイランに対する制裁決議を採択した。その前年に保守強硬派のアフマディネジャド大統領が選出され、核開発の拡大に入ったことが大きい。この時点でテヘランは自らの正当性を言い募っていたといってよい。

(1)核の平和利用の権利はイランが批准する核不拡散条約(NPT)で認められており、NPTの枠外のイスラエルなどとは国際的な位置が異なる。

(2)米国は核不拡散政策の実施という看板を掲げてはいるが、実際には二重基準をイランに対して押しつけている。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。