善・清・可能性を信じる「Web2.0」の考え方

執筆者:梅田望夫2005年12月号

「日本社会には、若い世代の創造性や果敢な行動を刺激する『オプティミズム(楽天主義)に支えられたビジョン』みたいなものが決定的に欠けているのではないか。(中略)シリコンバレーで私は、人生の先輩たちが示すおっちょこちょいで楽天的なビジョンと明るい励ましに、どれだけ助けられ、救われてきたことだろう」 前回の本欄で私はこう書いた。いま話題の「Web2.0」という新語を巡って、もう少しこのことについて考えてみたい。 インターネット時代が到来して十年が経過したが、十年も経てばその意味もずいぶん変わってくる。ならばそこを峻別し、これまでの世界を「Web1.0」、これからの世界を「Web2.0」と呼ぼう。シリコンバレーにそんな気運が高まったのが今年の春頃で、今もこの新語の定義を巡る議論が続いている。「Web2.0」とは、「ネット上の不特定多数無限大の人々を、受動的なサービス享受者ではなく能動的な表現者と認め、積極的に巻き込んでいくための技術やサービス開発姿勢」である。これが私流の解釈だ。誰もが自由に、別に誰かの許可を得なくても、あるサービスの発展や、ウェブ全体の発展に参加できる構造を用意する。それが「Web2.0」の本質である。「総表現社会」という未来像を実現するための道具立てだと言うこともできる。

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