同じ内閣、同じ自民党の中で、税制や金融政策をめぐり意見が対立。“百家争鳴”の背景には、ポスト小泉を睨むポジション争いが――。「党税調の専門家が税制改正の検討をしている最中に、素人が口出しをすべきではない」 二〇〇五年十二月五日、自民党本部。政府・自民党の協議で、片山虎之助参議院幹事長は「定率減税の全廃には弾力的に対応すべき」との考えを示した中川秀直政調会長を斬って捨てた。 中川氏は十月三十一日の内閣改造で党政調会長に就任して以来、小泉純一郎首相の“意向”を錦の御旗に三位一体改革(国と地方の税財政改革)や政府系金融機関の統廃合を主導してきた。だが、頑固一徹だった“税調のドン”故山中貞則氏の存在が象徴するように、党税調は歴代の首相も安易に踏み込めない「聖域」。片山氏はそこに踏み込んできた中川氏に待ったを掛けた格好だ。それは単なる縄張り争いにとどまらない。手を突っ込もうとした側にも、それを払いのけようとした側にも、税制論議はポスト小泉を見据えた前哨戦だとの自覚があった。 〇六年九月の自民党総裁任期終了時の退陣を明言する小泉首相の後継に同じ森派の安倍晋三官房長官を担ぎ、「安倍首相」を実現、その功労者として自身は幹事長に――これが中川氏の描くシナリオだとされる。それを踏まえて、谷垣禎一財務相に対する中川氏の発言を聞くと興味深い。第三次小泉内閣が発足して早々に、中川氏はかねて「〇七年の通常国会に消費税率の引き上げ法案を提出する」とぶち上げていた谷垣氏を「抵抗勢力だ」と非難した。「増税よりも歳出削減の徹底が先」という趣旨は税金の無駄遣いをなくすという意味で真っ当ではあるが、そこに中川氏自身の“将来設計”がないとはいえない。「谷垣首相」では「中川幹事長」は絶望的というのが、もともと永田町に流れていた観測だった。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。