蔣介石政権時代の台湾を象徴する台北の圓山大飯店の東隣にある「国民革命忠烈祠」には、中華民国建国の発端となった辛亥革命以来の1世紀余の間に中華民国のために殉じた戦没将兵が祀られている。圓山大飯店が日本統治時代の台湾神宮の、国民革命忠烈祠が護国神社の跡地に建てられていることを思うと、圓山大飯店から国民革命忠烈祠に続く一帯は、日本・中華民国・台湾の現代史をめぐる因縁で結ばれた不思議な空間ともいえそうだ。

 8月27日、その国民革命忠烈祠で、ビルマ(以下、ミャンマー)北部の戦場で命を落とした10万余を数える「中華民国遠征軍」の戦没者の合祀式典が、立法委員(国会議員)による5月の提案に基づいて執り行われた。

 

中国が守る「中華民国」の墓園

 じつは日中戦争末期ともいえる1942年から44年にかけ、ミャンマー北部から雲南省西部に展開する日本軍の進攻を阻止すべく、インド東部に派遣され連合軍の訓練を受けた中華民国遠征軍が投入されている。戦闘地域に因んで滇緬戦争(滇は雲南省、緬はミャンマーを指す)と呼ばれる戦いの発端は、日本軍の猛攻で南京を放棄し重慶に逃げ込んだ蔣介石を支援するため、ミャンマー経由で雲南省の西南端を経て省都・昆明を結ぶ、連合軍が建設した「援蔣ルート」を絶つためだった。

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