サダムより難題 東アジアの独裁者

執筆者:徳岡孝夫2007年1月号

 民主主義は、政治から詩を奪った。古代ローマの独裁者ジュリアス・シーザーは、生前すでに文句の付けようない英雄で、元老院で刺されて死んだ死に方もまた英雄的だった。 秦の始皇帝は、隣国すべてを滅ぼし、書を焼き学者を生きながら埋めた。東海の蓬莱山に不死の薬を得んと欲して果たさず、巡幸中に病没した。彼の生死には、太陽の昇って沈むに似た威容がある。 不慮の死と病死を問わず、独裁者の最期は、詩にして朗唱するに足る。人間一人ひとりの賢愚貴賎に目をつむり、一人を一票に還元してしまい、頭数によって決める民主主義の指導者は、詩にならない。元総理大臣や引退して牧場主になる大統領など、みな散文的で退屈な生涯を送って終わる。見ていて少しも感動しない。 ところがここに絶対的な権力者であったにもかかわらず、かつて自分が治めた民によって裁かれ、絞首刑を言い渡された珍しい独裁者がいる。サダム・フセイン(六九)である。考えてみたが、記憶するかぎり先例がない。セルビアのミロシェビッチは、国連の国際戦犯法廷で裁かれているうちに、法廷の所在地オランダの独房で死んだ。 防弾ガラスに囲まれた被告席のサダムは、終始挑戦的だった。少しも悪びれることなく、言いたいことを言った。この裁判はアメリカの陰謀であり、正当性がない。私は大量破壊兵器を持たなかった。吾は一方的な侵略者と戦って敗れたイラク兵士である。死刑にするなら銃殺してくれ云々。

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