柏崎原発「危機一髪」の中身を検証せよ

執筆者:中尾政之2007年9月号

中越沖地震で原発本体が壊れなかったのはおそらく「安全率」の勝利だろう。だが、その詳細を公開してはじめて、今後の被害防止に役立てることができる。 地震は時に多くの犠牲者を生む。しかしそうした中にあっても、まだしも「運が味方した」と思える点もある。 一九九五年の阪神・淡路大震災の発生時刻が早朝ではなく昼の十二時だったら、一層の惨劇を招いていたはずだ。二〇〇四年の中越地震に遭遇した上越新幹線は強運だった。想定外のことだったが、脱線した先頭車の車体が排雪溝にはまり、滑走しながら停止できた。一九九八年のドイツの新幹線ICEの事故のように、どこかに当たって先頭車から順番に折り重なるように脱線していたら、乗客百五十四名の命は危なかった。 歴史書を読むと、一九二三年の関東大震災は、災難が重なった。正午の発生がもし未明であったら、食事時の火事は多発しなかっただろう。一八九六年の明治の三陸大津波も、地震自体が震度3と強く揺れなかったのが却って悲劇を招いた。まさかその三十五分後に高さ四十メートル近い波が襲ってくるとは誰も予想できず、二万二千人が亡くなった。 それでは、七月十六日の中越沖地震はどうだったのだろうか。

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