ヒトラー『我が闘争』解禁問題を再論する

執筆者:佐瀬昌盛2015年4月27日

 私は2008年12月の『フォーサイト』に「ドイツを悩ます『我が闘争』出版問題」と題する拙稿を発表した。それから6年余、その続編を書かねばならぬと考えている。旧稿で扱ったのは、当時、戦後ドイツで事実上禁書扱いになっていた『マイン・カンプ』の著作権がアドルフ・ヒトラーの死後70年で終了するので、以後は誰でもこの魔書を自由に出版できることになり、ドイツ政府もバイエルン州政府も頭を抱えているという問題であった。今年の大晦日がその日に当たる。

 ヒトラーは1945年4月30日、ベルリンの中心にあった総統官邸の地下壕で愛人エヴァ・ブラウンを道連れにピストル自殺した。その一幕を扱った映画『デア・ウンターガンク』が2004年に封切られた。邦訳すれば「下降」とか「破滅」とかの意味になる。主人公を演じたのは名優ブルーノ・ガンツで、追いつめられた独裁者の左手首がマヒ状態になっていたことなど、迫真の演技を見せてくれた。思い起こすと、どうやらこの映画の封切りあたりから『我が闘争』の著作権終了問題が世上の話題になりはじめたような気がしてならない。

 

著作権の凍結

 注目されたのは南独のバイエルン州政府の意向である。ナチス・ドイツが無条件降伏すると、当初、米英仏ソ4国が分割占領した。バイエルン州は米占領軍による占領行政を受ける。米軍は『我が闘争(Mein Kampf)』の出版元「エーアー」社(在ミュンヘン)を接収、その著作権を押さえた。しかし、1949年秋に西側3国占領地帯が西ドイツとして発足すると、バイエルン州政府に同書の著作権を与えた。これがいわば問題の発端である。

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