日本政治の混乱はロシアの思う壺

執筆者:2008年10月号

 福田康夫首相の突然の辞任で年内のプーチン首相訪日に至る一連の日露外交に見通しが立たなくなった。 最大懸案の北方領土交渉は、日本外務省の内紛と失策で大幅に後退してきたが、メドベージェフ大統領をプーチン首相が背後で操る双頭体制の発足を受けて、再構築を急ぐ局面にあった。 外務省は、七月の洞爺湖サミットで、秋のイワノフ副首相訪日を皮切りに、フリステンコ産業貿易相、ラブロフ外相、そしてプーチン首相の年内訪日で「一致した」と発表。九月以降に集中的に要人往来を進める腹づもりだった。 もともとロシアには積極的な交渉の意思はなく、この発表自体が「外務省の独り相撲」との見方もあったが、年内総選挙が不可避となって、さっそくロシア側からは首相の早期訪日に疑問を呈する声が聞こえ始めた。「日露行動計画」の第一項目は指導者の政治対話の深化だが、日本側の首相や外務大臣がこう目まぐるしく交代しては本格的な領土交渉など無理。ロシア指導部には「政権交代で自民党から寝返って民主党と協力するかもしれない公明党とのパイプを強化する方が現状では得策」との考え方すらあるという。

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