これは「ジャカルタの悲劇」の二の舞になるのだろうか?

 おそらく、こう言ってもどなたも理解はしてくれないだろう。

 なぜなら、これは極めて個人的な思い入れを秘めた「OPEC」(石油輸出国機構)の「判断間違い」を懸念する言葉だからだ。

 少々、思い出話にお付き合いいただきたい。

 1997年8月末、ウィーンで開催された「中東協力センター」(JCCME)主催の「中東協力現地会議」に出席し、イランの現状について「カントリーレポート」をする機会を得た。

 そのレポートを筆者は、

「将来、多くの人びとが、1997年はイランが劇的に変化した年として思い出すことになろう」

 と結んだ。

 理由は次のとおりだ。

 同年5月の大統領選で、保守派候補に2倍以上の大差をつけて改革派のモハンマド・ハータミーが勝利した。イラン・イスラーム革命から18年が経過し、国際社会への復帰を願う国民の意思が強く反映された結果だ、と筆者は判断していた。

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