まだ戦争前、家族そろって洋行から帰国した頃(下関市「藤原義江記念館」提供)
 

 9月14日、自民党の両院議員総会にて菅義偉氏が自民党新総裁に選出され、16日、衆参両院において第99代内閣総理大臣に指名された。

 菅氏はじめ他の2人の候補者も登壇し、互いの闘いをたたえ合うかのようにつないだ手を高らかに挙げた。

 かつて日本の高度成長期、総裁公選の場で敗れた藤山愛一郎は勝者の佐藤栄作と壇上で向かい合ったが、いつもは穏やかな藤山が恒例の握手を拒否した。

 藤山に1票を投じた客席の藤原あきも、屈辱に耐えながらそれを見守っていたのであろうと、50年以上前の総裁選に思いを馳せてみた。

 

 私の「藤原あきへの旅」は5年前にさかのぼる。

 地方議会の本を書いていた時に、タレント議員の元祖は誰なのであろうとネットで調べると、「藤原あき」という女性がたやすく出てきた。書かれていた多少の経歴とともにこの女性が気になって仕方なくなり、更に深く調査したところ、驚くべき女の一生を送っていたことが判明した。

まだ髷を結っていた頃の藤原あき。正確な撮影年は不詳。この後、あきは波瀾万丈の人生を送ることになる(自伝『雨だれのうた』(酣燈社)より)

 明治から昭和を生き抜いた日本の女たちのストーリーは、往々にして禁欲で、すべてにおいて耐え忍ぶ女の物語だ。それが美しいという固定観念ができあがっていて、それでないと物語が始まらなかった。

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