東アフリカのソマリア沖で多発する海賊への対策として、海上自衛隊が三月中旬にも派遣される。この派遣をきっかけに、日本で二つの歴史的な和解が実現しそうなのだという。 ひとつは海自と日本船主協会の関係修復だ。太平洋戦争で旧日本軍に徴用された民間船舶は約二千五百隻が撃沈され、戦没船員は六万人に上った。海軍兵員の死亡や負傷による損耗率一六%と比べて、民間船舶の船員損耗率は実に四三%。日本の民間輸送船団への攻撃戦術をとった米海軍に対し、旧日本海軍は軍の艦船を優先、軍物資を運ぶ民間船団の護衛は皆無に等しかった。海自幹部は「これが日本船主協会と『旧海軍の末裔』を自任する海自との関係がぎくしゃくする原因になった」と話す。 不和状態は長引き、一九九一年の湾岸戦争では、自衛隊による護衛をあきらめた日本船主協会と全日本海員組合がペルシャ湾の一部を航行中止区域に指定し、それ以外の区域を船団を組んで“自衛航行”した。 ところが一月、日本船主協会の前川弘幸会長が浜田靖一防衛相にソマリア沖の海賊対策として船団護衛を陳情。前出の幹部は「初めて海自が商船を護衛する。歴史的な和解です」と語る。 もう一つは、海自と海上保安庁の関係だ。両者の間には、海自発足の経緯からくるわだかまりがあるという。海自の前身は、四八年に設立された海保が五二年に庁内の一機関として発足させた海上警備隊だが、五四年に海自に改組されると「海軍兵学校出身者など、海上警備隊の優秀な隊員がごっそり海自に移籍。海保の恨みを買った」(別の海自幹部)。この“近親憎悪”は、有事の際は海保が防衛大臣の指揮下に入るとの自衛隊法の規定により増大したという。

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