恒大集団の破綻危機を中国共産党ガバナンスの「大循環」で捉える
2021年11月5日
最近、米国の中国語紙の論評(10月26日付『多維新聞』「中国共産党の難題:止まないガバナンスの“一刀切”」)に面白い表現があった。それは「緩めれば直ぐに活き(活発になり)、活きれば直ぐに乱れ、乱れれば直ぐに統べ(統制を強化し)、統べれば直ぐに死ぬ」というもので、これに「死なないように緩めれば」という言葉を継ぎ足せば、最初とつながってしまう。終わりは来ないのだ。中国共産党のガバナンスというものの本質をうまく描いていると思う。「一刀切」とは、刀でバッサリ切ることで、複雑さや、ことの軽重と関係なく、一律に処理してしまう中国の官僚機構のやり方をよく表している。
この中国のガバナンスの特徴をつかまないと、最近の動きの本当の意味が分からなくなる。毛沢東が計画経済にこだわり、統制を強化した結果、経済は死んだ(政治とイデオロギーを強調し、文化大革命という大混乱を引き起こした)。鄧小平と江沢民が経済を「緩めた」結果、経済と社会は活性化した(1989年の天安門事件のせいで政治は引き締められ、政治の民主化は停滞した)。緩和のおかげで経済も社会も「乱れる」のだが、胡錦濤は権力の掌握が不十分で、統制を強化できなかった(政治の民主化の努力はしたが、成果は乏しかった)。党中央の政策は共産党本部のある中南海に止まったままだと批判され、厳格に実施されることはなかった。「上に政策あれば、下に対策あり」ということで、腐敗は蔓延し、社会の規律は、さらに乱れ、経済は野放図に発展した。統制が不十分で「乱」を退治できなかったのだ。
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