奴雁――日本銀行「名総裁の条件」

執筆者:中原秀雄2023年2月16日
2013年の共同声明の背景にはリフレを望む圧倒的な「空気」があった(C)AFP=時事

「英雄のいない国は不幸だ」

「違うぞ、英雄を必要とする国が不幸なんだ」

ベルトルト・ブレヒト『ガリレイの生涯』(岩淵達治訳)

 

   日銀の新体制がようやく決定した。新総裁、副総裁については、既に多くの論評があり、筆者にそれらに付け加えるような情報や知見があるわけではない。ただ、これまでの日銀の歩みを振り返ってつくづく実感するのは、「日銀に名総裁と呼ばれる人が絶えていなくなってしまった」ということだ。

   実際、終戦時の渋沢敬三(1944.3.18~1945.10.9=在任期間、以下同)から、現在の黒田東彦(2013.3.20〜)に至るまで15人を数える日銀総裁のなかで、経済に関心を持つ殆どの日本人から「名総裁」と呼ばれたのは、森永貞一郎(1974.12.17~1979.12.16)、前川春雄(1979.12.17~1984.12.16)の2人だけだった。もう1人、名総裁を通り越して「大総裁」と呼ばれたのが一万田尚登(1946.6.1~1954.12.10)だが、それは、日銀総裁としての業績以上に終戦直後の経済大混乱のなかで占領軍と対等にわたり合ったエピソードなどによるもので、現在の日銀と結び付けて論ずるのはやや筋違いだ。

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