「責任あるAI」と人間観・社会観の変貌

執筆者:松浦和也2023年9月26日
AI開発者が実際に予測できることと、開発者が予見すべきだと社会が期待することの間には開きがある(C)Nata Studio/stock.adobe.com

 AI(人工知能)は労働力の代わりになることが期待されている。AIが労働を担う代償として、新たな雇用問題が発生する恐れがあることは指摘されつづけてきたことである。だが、われわれが払う代償はこれだけだろうか。現在、AIの社会実装に向けて「責任あるAI」というテーマが盛んに議論されているが、「責任あるAI」を追求する際に覚悟しておく必要があるのは、AIとその社会実装は社会構造の変化をもたらすだけではなく、社会システムの根幹を成してきた人間観や社会観の再考もしくは放棄をわれわれに強いるかもしれないということである。

「予見可能性」の危機

 再考せねばならない人間観と社会観の例をひとつ挙げよう。

 ある工場で、メンテナンスの時以外は触ってはいけない機械のボタンを誰かが触ったことで、その機械が故障した。その故障を目にした工場関係者はボタンを触った人に責任を求める。だが、そのボタンを押したのが工場に迷い込んでしまった小さな子供だったとしたら、その子供に求める責任は軽いものになるだろう。一方、その人が工員の1人で、機械の稼働中にボタンを触ってはいけないと再三注意を受けてきた人物だとしたら、その人に求める責任は重いものになる。

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