お決まりの品

執筆者:阿川佐和子2023年11月19日
手土産選び、難しいですよね(写真はイメージです)

 小さい頃、ウチに訪ねて来られるとき必ずバナナを一房お土産に持ってきてくださる人がいた。その方は父の同人誌時代からの作家仲間のお一人で、文章を書くことがこよなく好きな女性だった。でも、子供であった私はその人の名前も職業もよく知らぬまま、「バナナのおばちゃん」と呼び、来てくれるのをいつも心待ちにしていた。

 昭和三十年代当時、バナナは高級品だった。房で買うなんて贅沢なことだった。バナナのおばちゃんも決して裕福ではなかったはずだ。それでも毎回、バナナの大きな房をぶらさげて我が家の縁側にふらりと現れ、

 「こんちわー。阿川さんいる?」

 ガラス戸を開け、独特のハスキーボイスで笑いながら家に上がっていらした。

 我が家族が何度引っ越しをしても、バナナのおばちゃんと疎遠になることはなかった。ときどき電話をかけてきて、父に小説の相談をしていることもあった。電話を切ったあと、父は言った。

 「あのばあさん、まだ書きたいものがあるらしいよ。驚いたもんだなあ」

 そう言いながら、父は内心で松原さんの創作意欲に鼓舞されていたのだと思う。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。