大学進学率が急上昇する一方で、それは世代間の価値観の「分化」にも繋がっている[全国統一大学入学試験「高考」の受験生たち=2023年6月7日、中国・北京](C)AFP=時事

 中国の政治を眺めてきて、そこに常に国民の存在を感じる。中国の歴史をふり返ると必ず「民」が登場する。

 世の中の乱れが民を圧迫し、民を立ち上がらせ、多くの王朝を滅ぼした。易姓革命と呼ばれ、統治すべしという天命が革[あらた]まり、統治者は変わる(皇帝の姓が易[か]わる)。そこに主流から外れていた知識分子(科挙の試験の準備をした者たち)が加わり、新王朝の樹立を助け、統治を支えた。近代に入ると、科挙は廃止されたが、学問を身につけた知識分子が自ら革命に身を投じ、革命を主導した。

 中国国民党も中国共産党も、ともに知識分子が主導する政党であったが、共産党の方により多くの知識分子が集まった。蒋介石の国民党は既得権益層との癒着を強め、抗日戦争に消極的だと見られていたからだ。国民党は日本が負けた後、国政運営に失敗し、民に見捨てられた。これに対し毛沢東の共産党は、国民、特に人口の大部分を占める農民との関係を重視した1。人民解放軍にも国民の支持を得るために「三大紀律八項注意2」を課し、しかも厳格に運用した。解放区でも地主などの既得権益層を一掃し、土地は農民に分配した。

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