イランはどこへ向かうのか

執筆者:池内恵2009年8月号

イスラーム革命体制を解放ではなく桎梏と感じる若い世代がイランに台頭している。ムーサヴィー候補の大量得票が示したのは、まさにその事実である。中東政治の変動の核心に迫る。 一九七九年のイラン革命によって成立したイランのイスラーム共和制が岐路に立たされている。 イスラーム共和制とは、いわば「神意」と「民意」を共に反映すると主張する体制である。「ファキーフ(法学者)」と呼ばれる宗教指導者たちが、「神意」を推し量る権限を持っている。同時に、大統領や国会議員を選挙で選出し、国民の意志を表出して政治に反映させる民主主義の制度を併せ持つ、独特の混合政治体制である。この「神意」と「民意」に齟齬と乖離があることが明白となったのが、六月十二日に行なわれた今回のイラン大統領選挙だった。政府が発表した開票結果に疑義が生じ、再投票を求める群衆と治安部隊が衝突を繰り返している。アフマディネジャード政権の正当性だけでなくイスラーム共和制そのものの信頼性が問われる事態である。 神意と民意が齟齬をきたすことは、シーア派の宗教・政治思想の観点からは「あり得ない」。「神意」が「民意」に一致しないはずはなく、「民意」が神の命令に背くことは許されない、という信念からである。しかし現実には双方の対立は潜在的に問題であり続けてきた。イラン革命当時は、ホメイニのカリスマによって双方の調和が体現され、齟齬や対立は覆い隠されていた。また、八〇年代を通じて戦われたイラクとの戦争は国民を結束させ、体制批判や問い直しは後回しにされた。

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