バフムト防衛での指揮には評価が分かれる[シルスキー氏=2024年1月12日、ウクライナ・ハリコフ](C)REUTERS/Valentyn Ogirenko

[キーウ発/ロイター]

若年期

 シルスキーは1965年7月、当時ソビエト連邦の一部だったロシアのウラジーミル地方で生まれた。1980年代からウクライナに住んでいる。ウクライナの軍隊にいる同年代の多くの人々と同様、彼はモスクワの高等軍事指揮学校で、その後ロシアの指揮官となった仲間たちと一緒に学んだ。軍事アナリストの中には、彼の戦場での戦術はソ連の階層的な訓練を反映していると考える者もいる。

「ユキヒョウ」

 シルスキーは2019年にウクライナの陸軍司令官に就任した。彼は以前、2014年に始まった東部ドネツクとルハンシク地方での親ロシア派の武装蜂起と戦うウクライナ軍を指揮しており、「ユキヒョウ」というコールサインを与えられていた。

最大の勝利

 ロシアの全面侵攻に対するウクライナ最大の勝利のいくつかは、シルスキーが指揮したものだ。彼は初期の数カ月間、首都キーウ防衛を成功に導き、2022年4月にはウクライナ最高の栄誉である「ウクライナ英雄」の称号を授与された。2022年7月、シルスキーは電光石火の反攻作戦を計画・実行し、ロシア軍をハリコフ市から遠ざけ、東部と南東部の広大な土地を奪還した。

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