鍋の傷

執筆者:阿川佐和子2024年4月9日
傷んだ鍋は料理上達の証(写真はイメージです)

 愛用のテフロン片手鍋の表面がはがれてきた。そろそろ寿命かなと思いつつも捨てられない。もともとテフロン加工がされていなかったと思えば、まだ使えるだろう。でも、餃子を焼いたりビーフンを炒めたりするとき、テフロンのはがれている部分に餃子の皮やビーフンが数本こびりついて面倒なことになる。杓文字(しゃもじ)でごしごしはがそうとするのだが、なかなか手強い。そういうときは、「もう捨てるぞ!」と宣言してみるが、洗って水切りかごに乗せると、まだきれいな様子である。

 「ちょっとアザができたぐらいで、リストラしないでくださいまし」

 鍋がそう叫んでいるように見えてきて、また戸棚にしまう。

 テフロン鍋というものを使うようになってどれくらい月日が経っただろう。四十年前、親元を離れて初めての一人暮らしをするとき、何より最初に買ったのは、片手中華鍋だった。あの頃にはもうテフロン鍋というものは存在していたのかもしれないが、私は中華鍋がこよなく好きだった。これさえあれば、なんだって作れる。炒め物も揚げ物も、シチューだってカレーだってもってこいだ。1DKの小さな台所に鍋をいくつも収納できるスペースはない。中華鍋一つでじゅうぶんだと思った。

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