滑り出しは順風満帆に見える鳩山内閣をどう評価するのか。「事務次官会見禁止」の一件で、当初は「官僚の会見をすべて禁止」を打ち出したものの、メディアからの反発を受け軌道修正に追い込まれた。 私は、内閣発足に先立ち、本誌先月号で「官僚の言論を封じるより、政策決定プロセスを公開すべき」と主張した。その立場から言うと、こうした言論統制的手法は、無意味だ。メディアが官僚の情報発信を期待している中で、無理やり会見を禁止しても、個別の記者ブリーフやオフレコの記者懇などに置き換わるだけだ。むしろ、官僚の側で記者を選んでブリーフするなど、透明度の低下にもつながりかねない。「事務次官が、役所の事実上のトップとして振る舞い、定例会見などやっているのはおかしい」という民主党の発想自体は間違っていない。しかし、手段として、言論統制でなく、自然消滅させるのが筋だったのではないか。つまり、政治家が現に政策決定を主導し、有意な情報発信を効果的に行なっていけば、遠からずメディアの側から「もはや次官会見は不要」と言ってきたはずなのだ。「次官会見禁止」には、もう一つ問題がある。次官に「仕事をするな」と命ずるだけで、官僚機構の改造に議論が及んでいない点だ。そもそも、従来の次官の役割は、週二回の次官会議と次官会見のほか、各省の実質的なトップとして組織を統括し、族議員のボスと話をつけることだった。これらの役割は、民主党政権ではすべて否定された。役割は否定しつつ、ポストはそのまま維持しておく、というのは解せない。

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