二十一世紀が始まるのは厳密にいえば二〇〇一年である。二〇〇〇年で新しいミレニアムが始まるのなら、最初のミレニアムは九九九年しかなかったことになる。だが、このようなことを言ってみても仕方がないようだ。西暦に取りつかれている世界においては、二〇〇〇年一月一日をもって、新しい世紀、そして新しいミレニアムの開始だと見なしている。

 いかなる年のいかなる一日であっても、それぞれ歴史上、一回しかないユニークな一日であって、どの一日も百年に一度、千年に一度の珍しい日である。それにもかかわらず、下二桁が〇〇になる年、ましてや下三桁が〇〇〇になる年の元旦は特別だと感じるのが人情なのであろう。

 それに、「Y2K問題」が重なった。心配されたような大混乱は、世界中のどこでも起きなかった。「なんだ、大したことなかったじゃないか」というのが率直な感想だろう。二〇〇〇年問題に警鐘を鳴らしつづけた人々に対して、冷たい見方も出始めているが、やはり準備しておいたから、何も大したことが起きなかったのだとの見方もある。
『ニューヨーク・タイムズ』紙社説は、「今となっては、恐怖は誇張されたものに見えるが、全く絵空事であったわけではない」と指摘し、問題対策にあたった人々に理解を示している(“Safe New Year So Far,”『インターナショナル・へラルド・トリビューン(IHT)』、一月四日)。

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