今なお権力にとどまるミロシェビッチの謎

執筆者:ルイーズ・ブランソン2000年5月号

 空爆も、経済制裁も、セルビアの独裁者を倒すことはできなかった。今やミロシェビッチは「欧州のサダム」と化した。NATOの誤算とは何だったのか。そして今、セルビアでは何が起きているのか――。

[ベオグラード発]ちょうど一年前の今頃、コソボ自治州の紛争をめぐって、NATO軍はユーゴに激しい空爆を行なっていた。三月に始まった容赦ない攻撃は、七十八日間にわたって続けられ、出撃回数は三万七千四百六十五回に及んだ。セルビアの独裁者、スロボダン・ミロシェビッチもついに膝を屈し、和平案を呑んだ。すでにハーグの旧ユーゴ戦争犯罪法廷からは、人道上の罪と戦争法違反の容疑で起訴され、もはやミロシェビッチの命運も尽きたと、NATO側は読んでいた。

 政府の圧政に苦しむ国民も直ちにミロシェビッチ打倒に立ち上るとみられていた。セルビアとモンテネグロの二共和国のみとなった新ユーゴ連邦も、やがて中欧・東欧の民主化の流れに加わるものと誰もが考えたのだ。

 だが、こうした観測も今は虚しい。とりわけ四月十四日、重く垂れ込めた空の下、セルビアの全野党がベオグラードの共和国広場に結集し、ミロシェビッチ打倒の大集会を開いたときほど、その感が深まったことはない。

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