繁栄を謳歌する米国の死角

執筆者:名越健郎2000年8月号

冷戦後の軍事的優位、史上最長の好景気――。繁栄を極める米国で静かに「レーガン回顧現象」が広がっている。勃然と起こったレーガン時代への追憶には、米国社会が抱き始めた未来への漠然とした不安が覗く。[ワシントン発]アメリカの戦後史の命運を決する分岐点になった場所があるとすれば、テキサス州ダラスのデーリー広場と首都ワシントンのワシントン・ヒルトン・ホテルが挙げられよう。前者は一九六三年十一月二十二日のケネディ大統領暗殺現場、後者は八一年三月三十日のレーガン大統領銃撃現場である。二つの現職大統領狙撃事件は、その後の米国の政治・経済・社会の趨勢に重大な影響を与えた。 ケネディがオープンカーでパレード中に撃たれたダラスのデーリー広場は、文化財史跡に指定され、当時の現場がそのまま保存されている。単独犯とされたリー・オズワルドが発砲したといわれる教科書ビル六階は博物館になり、事件当日の状況をビデオや写真で展示。デーリー広場は聖地となり、巡礼の米国人が今も後を絶たない。 広場で暗殺事件の謎をめぐり毎日辻説法を続ける地元の歴史家ドン・ミラー氏は、観光客に暗殺事件の陰謀説を展開している。「前方右の駐車場の垣根に二人、後方のビル二階に二人、計四人のガンマンがいた。四発が発射され、三発が大統領とコナリー知事に命中した。オズワルドは囮にすぎない」

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