「普通の国」 小沢一郎『日本改造計画』

執筆者:船橋洋一2001年8月号

 小沢一郎は、『日本改造計画』を、かつて仲間の国会議員たちと科学技術視察で米国を訪れた際立ち寄ったグランド・キャニオンで見たある光景から書き始めている。〈国立公園の観光地で、多くの人々が訪れるにもかかわらず、転落を防ぐ柵が見当たらないのである。しかも、大きく突き出た岩の先端には若い男女がすわり、戯れている。私はあたりを見回してみた。注意をうながす人がいないばかりか、立札すら見当たらない〉 小沢は想像してみた。〈もし日本の観光地がこのような状態で、事故が起きたとしたら、どうなるだろうか。おそらく、その観光地の管理責任者は、新聞やテレビで轟々たる非難を浴びるだろう。(中略)だから日本の公園管理当局は、前もって、ありとあらゆる事故防止策を講ずる。いってみれば、行動規制である〉〈大の大人が、レジャーという最も私的で自由な行動についてさえ、当局に安全を守ってもらい、それを当然視している。これに対して、アメリカでは、自分の安全は自分の責任で守っているわけである〉 小沢が言おうとしているのは、自己責任原則、それも社会全体の自己責任原則だ。〈個人は、集団への自己埋没の代償として、生活と安全を集団から保証されてきたといえる。それが、いわば、日本型民主主義の社会なのである。そこには、自己責任の考え方は成立する余地がなかった〉

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