「倒閣だ」と叫んだ道路族のボス

執筆者:2001年12月号

 インド洋での米軍後方支援に向け、三隻の海上自衛隊艦船が横須賀、呉、佐世保の各母港を二月則に出航、テロ対応に一区切り付いた十一月二十七日朝。小泉純一郎首相は上機嫌で特殊法人等改革推進本部、行政改革推進本部の合同会議に臨んだ。 日本道路公団、住宅金融公庫など七つの特殊法人の廃止、民営化方針を決定したこの日の会議は、「小泉改革」実現の第一歩を歴史に印す晴れ舞台。首相あいさつは昂揚感に溢れていた。「行政改革担当大臣から先行七法人の改革の方向性について報告を頂いた。見直しが最も困難と考えられていたこれらの法人の見直しについてまとめて頂いたことに感謝する。平成十四年度予算案の編成に当たっては、特殊法人等に対する国の支出を一兆円削減するという目標を掲げてきたが、それが可能になった」。 政府が主要な特殊法人の抜本改革に手をつけるのは、一九八〇年代に中曾根内閣が国鉄、電電公社、専売公社の三公社を民営化して以来。特に自民党橋本派を中核とする強力な道路族議員に守られてきた日本道路公団、首都高速道路公団、阪神高速道路公団、本州四国連絡橋公団の「道路四公団」にメスを入れた意味は大きかった。 その後の記者団のぶら下がりインタビューでも、首相はいっにも増して雄弁だった。「大改革への突破口ができた。着々と改革が実行に移されている。みんな似ているんですよ。できない、できないって。小泉は総裁選に勝てっこない、予想を覆して勝った。道路公団は民営化できるわけがない、もうできた。はっきり合意した。ほかの主な法人廃止も合意できた。半年前と比べてみてくださいよ。いかに進んでいるか、本格的に切り込んでいるか見てもらいたい」。国会で繰り返しぶつけられた「NATO(ノーアクション トークオンリー)」批判もこれではね返せる。そんな負けん気が言葉から滲み出ていた。

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