日本人をサルにする「家の中主義」

執筆者:正高信男2003年12月号

 ひところワゴン車のCMとして「携帯空間」というコピーがブラウン管から流れていた。自動車の内部は普通、窮屈なものである。だが「この車は違います。まるで家の中にいるように広々としています。くつろいだスペースが期待できるのです」とメーカーは訴えたかったのだろう。 けれども、こんなことは今さら改まって宣伝するほどのことではない。今時の日本人は常に「ケータイ空間」の中で生活していることを、私は近著『ケータイを持ったサル』(中公新書)で書いたつもりである。 実は今、ファストフード店でこの原稿を書いている。隣に女子高生が二人。一人は靴を脱ぎ、あぐらをかいて椅子に座っている。もう一人は靴の踵を踏みつぶして、貧乏ゆすり。おそらく店を出たあとも、このまま歩くのだろう。このところ急速に広がりつつある、公的空間においてすら、まるで家の中にいる感覚で振る舞う風潮を、私は「家の中主義」と呼ぶことにしている。「家の中」では通常、親しい者同士がくつろいで暮らす。しかしいったんそこを出るや、自立した個人として公のルールに従って行動することが求められる。だが近年、家の領域はアメーバ状に果てしなく拡大しつつあるらしい。 それゆえ、座席がなくとも地面や床に直に腰を下ろすことに抵抗を感じない。歩きながらものを食してもいっこうに平気である。靴の踵を踏みつぶすのだって、そうだ。日本人は家の中では靴を脱がないとどうにも落ち着けない。反対に靴を履くことで、公の領域へ出ますよという心仕度をする。それを拒否するという無意識的な表現なのだろう。

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