中国指導部「世代交代」のわかれ道

執筆者:藤田洋毅2004年2月号

江沢民は、はたして本当に今秋で権力の座から完全に降りるのか。それを左右するのは、二人の男の動向だ。「ヘルメット姿の指導者が炭坑の地下坑道に降り立った。炭坑夫らと談笑し、生活や子女の教育などについて細やかな質問を繰り出した」 昨年、二人の指導者の別々の国内視察を、中国国営新華社通信は同じような表現を交え伝えた。旧暦大晦日の一月三十一日、遼寧省阜新の炭坑を訪れ地下七百二十メートルまでもぐったのは、現在、中国共産党序列三位の温家宝首相(当時は政治局常務委員・副首相)。その行動をなぞるように十一月十七日、安徽省淮南の炭坑の地下六百三十メートルに降り立ったのは同二位の呉邦国全国人民代表大会常務委員長である。中南海の実情を知り尽くす新華社の記事は、指導者本人や秘書の審査を経て発表され、その“効果”が計算し尽くされている。党中央のある幹部は言った。「明確なサインです。呉さんは温首相、ひいては胡錦濤総書記の力を評価し、にじり寄っているのです。“寝返った”と表現する声まで出ています」。 呉は上海時代から引き立ててくれた江沢民党中央軍事委員会主席の側近として頭角をあらわし、江を支える橋頭堡の一人とされてきた。だが、「呉さんはもともと権力に淡泊な性格です。しかも、法治社会建設の最前線である全人代のトップとして清廉な胡―温指導部に協力しないと、下からも突き上げを食らうのです」と幹部は続けた。昨年早春から中国を襲った新型肺炎SARS禍に際しても態度表明が遅れた全人代では、弁公庁を軸とする若手幹部らを中心に情報公開を求める声があふれ出たという。相次ぐ重大事故に対し再び無力をさらけ出せば、「なんのための全人代か。やはりゴム印(名目上の追認機関)にすぎないのか」と攻撃されるのは必至。上海閥には珍しい「権力欲の薄い呉だからこそ可能だった変身でしょう」と複数の幹部は口を揃える。

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