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投稿者:owlet2011年01月13日15時01分
少々甘やかしすぎではないか。
老化防止も兼ねて、集に何度かは散歩がてら往復一、二時間くらい歩いてもいいのではないでしょうか。
雨が一週間以上続くことはそうないので、雨天であれば日を改めるなり出前を頼むなりすれば良いし、料理もまとめて作って冷凍保存すれば最低二週間ぐらいは保ちます。
もし普通に通うだけでも危険な道を通らなければならないとしても、住居を選択したのは本人であるので自己責任でいいのではないでしょうか。
それすらも困難であるというなら、老人ホームなり病院なり、誰かと同居するべきではないでしょうか。こんなことで解決するはずの問題に、税金を使うのはいかがなものだと思うのですが…
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投稿者:skazuo2011年01月13日22時55分
買い物だけの問題ではない??
現代では大手のスーパーがこぞってウェブで注文を受けて自宅まで配送するサービスをしているので、パソコンの操作という難題さえクリアできれば高齢者にとって好適なサービスと思っていました。加えて、ウェブにアクセスできれば他にもいろいろ便利だろうと、自分も祖父母にパソコンを贈り、操作を教えたりなどしましたが、それをクリアするのがいかに難しいことか思い知りました。そもそも年を取るということでこらえ性がなくなるのか、操作を教え始めて20分もすると何も言わずにすっと立ち上がって台所で洗い物を始めたりします。

したがって、使い古された言い回しですが、お年寄りが買い物弱者であるという以上に情報弱者、IT難民であることがより根源的な問題であるという気がしています。(かくゆう私自身も昨今のスマートフォンの台頭にはもはや興味も持てず、「ああ、こうして時代に遅れていくのだろうな」などと薄ら寒い危機感を感じ始めています。)

「パソコンは何だか便利なものらしいねえ」ではなくて「パソコンが分からないともうこの世では生きていけなくなっている」というメッセージを、IT黎明期に、高齢者に向けて発信できた人はいませんでした。現在もあまり活発な論題とはいえません。しかしながら、現在の非高齢者世代は今後年をとってもそれなりのITリテラシーを維持するでしょうから、いわゆる「年寄り向けのIT製品」なるカテゴリーは、たとえ開拓できたとしても「現時点での高齢者」だけがターゲットになってしまい、その世代が物故した後では尻すぼみになるであろうことから誰も着手しないのかもしれませんね。。。
投稿者:はやぶさ Riemann2011年01月14日19時42分
高齢者にもパワーがあるかもしれません
確かに、公費を使うのは難しいでしょう。いろいろな方策が考えられていくでしょうが、例えば、自治会館のような場所で週に1度、協力できる農家や商店から出張してもらう、販売などは可能な高齢者で自ら協力し合って行う、など考えてみました。少し後押しする必要はあるでしょうが、おそらくは手本になるような動きが出てきて高齢者パワー全開で、心配無用になるのではないでしょうか。そうなってほしいです。
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投稿者:mizuyamii2011年01月15日01時15分
甘やかしすぎ、ですか?
私の両親も70半ばを過ぎています。坂の上にある自宅から、最も近いスーパーまでやはり15分ほどかかります。今はまだ、母は登り坂にふうふう息をきらせ、時折休みながらも重い荷物を引きずり買い物ができますが、先が心配です。日常品、食料品の買い物の重さが、どのくらいになるか、おわかりですよね?

老化防止に1,2時間くらい歩け、買い物に行けなければ出前をとれ、だいたいそこに居住を決めたのは自分なんだから、自己責任(この言葉が論旨にふさわしいか疑問です)。でなきゃ老人ホームに入るか誰かと同居しろ、というのは、いささか配慮に欠ける発言に思えます。全ての人間がいつまでも若いままの肉体、体力、資金力があるわけではありません。また、わざわざ不便な場所がいい、と思って居住しているわけではないでしょう。

ご存じかと思いますが、老人用の施設に入り生活するのは、かなりまとまった資金が必要です。家族(など同居できる人がいれば、ですが)は同居したくとも、その家族ごとに様々な事情があるでしょう。そうたびたび出前をとるのも好みやお金や栄養の問題などあり、高齢者の方はあまり好まれないと思います。ご飯とみそ汁だけでいいから、自分で作った料理がいいと思われる方のほうが多いのではないでしょうか。
そもそも、出来る限りは自力で自宅で生活したい、となんとか頑張っているのではないでしょうか。

私も両親に、足腰の機能を1日でも長く保つために、30分でもいいから歩いてみたらと幾度も勧めて、彼らも頭では理解していますがなかなか億劫なようです。父は10年以上それは可愛がっていた犬を、足腰がきつくて世話ができないからと、散々悩んだ末泣きながら手放しました。

高齢になり、いろいろな機能がどうしても衰えていくなかに、また自分の期待とは離れて環境が変化していく中に、生活の利便性をどこまで保って、自力の生活をしていけるか、ということではないでしょうか。ITリテラシーがあるとか、有益な情報を入手できるかとか、それも考慮するべきかとは思いますが、もっとそれ以前の問題なような気がします。

昔、祖母の住んでいた田舎では、荷車を引いて様々な物品を売りに来てくれる人たちがいました。魚屋さん、八百屋さん、雑貨屋さんなど。一番近い商店まで30分程かかる祖母達には有り難い存在でした。
時代に応じた、私たちの生活の有り様をみんなで工夫していかなくてはならない、ということかと思います。皆、歳をとって老人になっていくのですから。
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投稿者:nekosuki2011年01月17日17時15分
地域崩壊の問題では?
鷲尾氏の問題提起には同感です。この問題を、高齢者の生活支援の問題と捉えるだけでは不十分だと思います。問題の根は相当に深刻だと考えます。古くは中山間地集落の過疎化・消失の問題、また、地方都市の中心市街地の空洞化の問題、そして都市近郊部の居住環境の悪化の問題、いずれも地域コミュニティ、つまり人間の居住環境が崩壊していくという点では共通した問題です。若者が大都市に憧れ、早々とふるさとに見切りをつけ去って行くという現象は、少子高齢化が現実的な問題として顕在化する前から始まっていたわけで、単純に少子高齢化に起因する問題であるとか、長期に低迷する経済の問題であると片付けるだけでは説明できないような気がします。最近は若者の間にも地方回帰の動きを伝えるニュースもときどき聞くことがありますが、地域社会が持続不可能な社会になりつつあることが一番の心配です。もちろん地方では若者に魅力ある就業機会が乏しく地方に戻りたくても戻れないということもあるでしょうが、単純に若者にかかわる問題と捉えるだけでは不十分で、もっと深いところを考える必要があるように思います。どのように対処すべきかおそらく答えは単純なものではなく、また、容易なものでもないと思いますが、ひとつ言えることは対処療法的な目先の痛みだけを解消するような対策や対応だけに終始していては、解決は期待薄だということです。これまでの対策は、あまりにも刹那的で対処療法的すぎていたように思います。かえって問題の本質を見えなくしてしまい、解決を遅らせ、地域社会をより重症化の状態にしてしまったのではないかと感じています。
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投稿者:owlet2011年01月18日18時53分
『小さな政府』なら、民間でできることは民間で。
配慮に欠けた発言、失礼いたしました。

もし、高齢者の負担が“買い物”のみであるとすれば、買い物弱者対策のために投入した資金は無駄にはならないでしょう。しかし実際はそれだけではないはずです。
日本は行政サービスが行き届いた国です。その上で、国民は『小さな政府』を求めてきたのですから、民間でできることは極力民間でするべきではないでしょうか。
どの程度の『小ささ』を求めてきたかにもよりますが、子供や政府(この場合、税金を使用すると子孫に響くので結果的には同じかもしれませんが)60で退職して80ぐらいまで生きるだろうと考えているとしたら、遅くとも40のときには老後20年間の貯金、毎日体を鍛える等準備を始めなければなりません。定年してから「さぁ始めよう」では済まないのです。海外ではそのような人はいくらでもいらっしゃいます。
また老後も“自分の健康を保つ努力を惜しみなく”し、“自分でできない分は自分の知識や金銭や交友関係で解決”する必要があります。
どの国でも本当に『小さな政府』のままで年金だけで生きていこうとする(死なないという水準ではなく、好きな生き方を選んで実行する)のは、幻のような好景気でなければあまりに無謀です。
「多課税、多サービス」か「自力で何十年もかけて準備する」かです。

今は本当に便利な時代です。インターネットと多少の銭さえあれば何不自由なく暮らしていけます。現代に荷車がないのはそうゆうことです。
子供や親戚知人が、インターネットの代行操作(例えば、買い物リストを電話で伝え、代行者がこれを購入する等)を行えば、PC操作の壁はなくなるはずです。(所謂“サービス”ではなく)品物を買うことに限れば、実際に店で買うことと金銭的負担は大差ないはずです。「実物を手にとって…」は一種の贅沢として、全国民がそうしているように時代の流れを受け入れるしかないのではないでしょうか。
“買い物”のみが負担、というレベルの高齢者に苦しい財務状況の国からお金が出るとしたら『小さい政府』ではいられないのではないでしょうか。