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投稿者:erich19702013年03月06日09時13分
毎晩、どこかのチャンネルで放映されており、画像共有のサイトにもさまざまにアップされている。娯楽として定着しているのをうかがわせる。筆者が指摘されているとおり、刺激満載、最後には国民党のキャラクターは毎回ドジをしでかすか死ぬし、日本人は必ずむごい形で殺されるのがお約束だ。

 おまけに中国サイドは美人女優が危険な任務もこなすので、「男女平等」の八路軍と言うプロパガンダもしっかり行っている。 そういった中に例えば、兄妹の再会を目指して転戦、といった人情的要素も織り込んでいる。溜飲を下げる、という視点での演出を重視しているから、「どの道、中国社会は変わりえないのだから」といういささかの諦観を持ちつつ、ワンパと思っても大衆は、勧善懲悪ものを見てしまうのだろう。

 中国出張やホテルに滞在の折、一度、実態をご覧になることをお薦めしたいと思う。

 日本では戦後、アメリカを敵として正面切って描けなかったトラウマを「悪の軍団」「宇宙人」「仮想世界」といった空想マンガ・特撮ものに置き換え、処理していったのとは方向性が違うようだ。こちらも正義と悪を単純に描き、ちゃっかり商売に結び付けていた。さすがにそれでは飽きられるので「ガンダム」といった作品も提示され、深みのあるストーリーも作られているようだが、中国ではまだまだ、勧善懲悪モノがもてはやされるのだろう。

 件の番組のURLを記録しておき、後日国外で視聴しようとしたところ、「中国外で視聴できません」との表示。 さすがに当局も偏向していると承知しているのか、映像を国外に見せぬように検閲しているようだ(日本のアニメ等はかの国の画像共有サイトに沢山有って、著作権を無視すれば閲覧が可能)。

 「日本には勧善懲悪も自省のどちらもの選択の自由がある」、という点を冷静に認知させるのは検閲があるから不可能に近いが、昔のVOA(ボイスオブアメリカ)の様に、地道にプロパガンダするしかないのかもしれない。
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投稿者:kudohgz2013年03月10日14時40分
野嶋剛氏の文章は何時も面白く読ませて頂いている。
 2013.3.6「尖閣問題が呼び起こす中国「抗日映画」ブーム」は基本的な話としてはその通りだとして、次の二点のやや異議がある。
(1)野嶋氏は陸川監督『南京!南京!』(2009年4月公開、日本未公開、製作費8千万元、約11億5千万円、興行収入1億7千万元、約25億円―筆者)を例に挙げ、監督自身へのインタビューにより「従来は中国の抗日映画では日本人は人格を持たない存在として描かれてきたが、日本人も人間であることを描くことで観衆のより深い思索をもたらすことができる。それがこの映画の主要な狙いだ」とする話を引き出し、このような「人間である日本兵」を描く「人性化」という「抗日片」がある一方、「まるで非実在の悪魔のような日本兵」として描く「妖魔化」という「抗日片」があり、こちらが中国ではスタンダードである。そして、折角日本兵の「人性化」が取り入れられる傾向にあったのに、近年の尖閣問題などのように日中関係が悪化するたびに、反日・抗日の精神は再生産されていく、と結論づける。
しかし、尖閣問題などが原因で、反日・抗日の精神が再生産されるという因果関係よりは、映画が社会主義的プロパガンダの道具であること、「抗日映画」は日中戦争期に淵源があり、50-60年代が発展期、70-80年代は中休み、89年天安門事件以降の90年代に2度目のブームを迎え、「抗日映画がプロパガンダでありながら、一種のエンターテイメトとして制作され始めた時期だと言えるだろう」と指摘する点の方が重要だと言える。それは、漢民族を中心とする中国人アイデンティティーの統合と昂揚を図るためには、絶えず日本兵及び日本人は悪玉で「非実在の悪魔」「妖魔化」された他者として描かれ続けられる存在であるという事実ではないのか。
(2)野嶋氏は「抗日アイドル映画」「抗日スペクタクル映画」として多様化、娯楽化の傾向が進む現状を捉えて、「現代の中国において、盛んに抗日作品が制作される目的は、必ずしも共産党のプロパガンダというだけではなく、中国の審査制度、そして商業主義も絡み合っての結果だと言える」と分析する。しかし、この分析では責任の所在が不明確であり、さらに重要な「抗日映画」の張芸謀監督『金陵十三釵』(2011年12月公開、日本未公開、製作費6億元、約78億円、興行収入5億8千400万元、約71億円)への言及が欠けている。
 南京事件、いわゆる南京大虐殺を映画化した「人性化」の「抗日片」が『南京!南京!』だとするなら、「妖魔化」の決定版は『金陵十三釵』 である。張芸謀の映画作成の手法は、一方で政府に媚びを売り共謀共犯関係を作り、一方で中国では発禁された作品を撮影した監督として海外に名を売り、さらに一方ではハリウッドさながらのエンターテイメト映画を作成して富を得るという活き様はまさしく中国人的だと感心するが、笑って済ませられる問題ではない。
この『金陵十三釵』という映画を見ていない人でもネットで物語の概要とその評判は感じられるはずである。英語名は『The Flowers Of War』(中国普通語、英語)で、落選したとはいえ第84回アカデミー賞外国語映画賞の中国代表作品として出品されている。
『金陵十三釵』は、2011年に12月13日の南京大虐殺記念日に合わせて公開、国民党軍のまあ勇敢なこと、英語を通して中国人とアメリカ人は共通の文化アイデンティティーを有する人道的な民族であること、群として日本人は非実在の悪魔・妖魔のような卑劣な民族であること、観衆は張芸謀が映し出す映像美、冒険活劇のスリル、強姦をはたらく日本兵の卑劣さに怒りと感涙に咽び泣きながら逆境に立った漢民族アイデンティティーの結束がエクスタシーへと昇華する。まさに、エンターテイメトとしての南京大虐殺であり、クリスチャン・ベールを主役にすることで中国人の英雄的で人道的な文化アイデンティティーはアメリカ人と相通じるとして、まさにカメリカへ秋波を送っている作品である。その意味では、貧農が地主へとのし上がる中国農民の開拓精神にアメリカ人からの共感を呼び起こし、アメリカの対日参戦を後押しするきっかけになったシドニー・フランクリン監督の『大地』(1937年11月、The Good Earth)を連想させるが、虐殺エンターテイメトとしての『金陵十三釵』という「抗日片」の公開後に尖閣問題が起きて、いつも以上の激しいデモが起こったことを張芸謀はどのように考えるのだろう。
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投稿者:masako.lange2013年03月20日06時43分
まあ、ハリウッド映画でも未だに悪役はドイツ人っぽい人が多いですしね。うちのドイツ人はハリウッド映画見ると、またドイツ人悪役かと苦笑しています。全世界に流通するハリウッドに比べれば、中国国内でとどまる抗日映画はまだマシなのかもしれませんね。

ただ中国の場合は、抗日が現実に暴力的な行動につながる点で全然マシじゃないですが。でもそれは映画の影響ではなくて、中国の国内の問題ですからねえ。ほんとに困った話ですね。
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投稿者:nekosuki2013年03月24日09時02分
私もハリウッド映画を見て育った世代ですが、第二次世界大戦を舞台にドイツ軍を相手に活躍するアメリカ軍主役の戦争映画のことを思い出してしまいました。娯楽満点だったことも覚えています。
改めて振り返ってみると、アメリカ軍兵士がドイツ軍を撃破するストーリーは西部劇に似たところがあり、几帳面でまじめなドイツ人から見ると、カウボーイ姿のアメリカ人の単純さに苦笑いを禁じえなかったのではないかと思います。

その後、アメリカ映画もドイツ軍を悪役とする勧善懲悪的な戦争映画ばかりでなく、ドイツやアメリカと言った国を超えて戦争の持つ非人間性、社会にもたらす影響の大きさといった問題点に深く切り込み描いた作品も多く見られるようになって、映画を愛するものとしては大いなる救いとなっています。

さて、中国の映画ですが、昔見た記憶では、八路軍が大活躍する戦闘場面が見せ所で、プロパガンダ丸出しの内容は映画として決して面白いとは言えませんでした。当時、ラジオの大学受験講座のダイヤルを回すと、中国発の勇ましい電波が盛んに飛び込んできていたことも思い出しました。

最近の抗日映画なるものは見ていないので何とも言えませんが、今もなおプロパガンダ丸出しの映画を飽きもせず作り続けているのだとしたら、ドイツ軍相手のアメリカ映画の平凡さにドイツ人が苦笑したのとは別の意味で苦笑させられます、中国では時間は止まったままなのかと。

中国では、今でも映画は国策宣伝のプロパガンダの主力手段なのですね。中国社会の一側面を見る思いです。
映画というすばらしい表現力を持った優れたメディアが、そのような狭隘な目的のために映画本来が持っている魅力を犠牲にしてしまうことは至極残念なことです。