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投稿者:
Le coucou
2016年07月26日23時25分
ドイツで「アーリア人」という単語はタブーだが、某学会ではそれに代わるものとして「アーリッシュ」なる言葉が存在するようだ。日本人研究者がさすがにまずいだろう、と注意したところ「日本人は『準アーリッシュ』なんだからいいじゃないか」と言われた由。
イランは第二次大戦後も「アーリア人」概念が強く残った。パーレビ国王が「イラン人はアラブにあらず、アーリア人なり」と、ことあるごとに自国民の優位性を謳ったからだ。ホメイニ革命後、数多くのイラン人が世界各地に亡命したが、NYでもワシントンでも「亡命イラン人は扱いが難しい。なまじ学がある分、傲慢でうるさくて」と陰口を叩かれていた。
トルコ系児童が徒党を組んで行ういじめは凄まじい。地区によってはドイツ人児童も容赦なく標的にされ、心身ともにボロボロにされる。訴えても、人種差別になってはいけないと当局は及び腰。資力が許す家庭から抜けていき、結果的に棲み分けが進む。
一般的ドイツ人は外国人とかかわると厄介なことになるとして、非ドイツ人をみると「そこに誰も存在しないかのようにふるまう」ことがある。トラブルの現場ならなおさらである。その態度たるや、「トラブルを起こす外国人は犬以下」とでも言いたげだ。
今回の事件がテロと認定されなかったのは「報復殺人&巻き添え」と解釈された可能性もある。
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投稿者:
imomushi
2016年07月25日23時37分
本記事は、「うーん」と、唸りながら読みました。
>「マイノリティがマイノリティを差別・攻撃する」
似たような“場面”を、われわれは、連合赤軍の行状(“総括”)として、大菩薩峠で見てしまいました。自ら作り上げた“正義”の遂行の為なら、すべてが許される。しかし、その手にしている“正義”は、「不満」と「憤懣」だけで捏ね固めたもので、具体的な未来に向けた緻密な設計図は何もない。とりあえずピカピカと輝いて見える。
>ヨーロッパの人権規範によって少数派への差別や攻撃が禁じられるのと同時に、人権規範の縛りによって、的確な報道や、分析の対象にもされにくくなる。
これもよくあるパターンだと思います。たとえば「金嬉老」に対する一部ジャーナリストが取った態度。それも一例でしょう。
>持って生まれた属性への帰属意識に縛られて思考し行動するかのように断定しているものと捉えられかねず、そのような認識や報道や対処策の方が、むしろ差別と糾弾されかねない。
>しかし、誰の目にも明らかな要素を報じない、議論しないことから生じる疑念に対し、極右勢力が「真実を語る」ことで応えて支持を集め、移民排斥や、人種的な優越意識をマジョリティの間に再び広げていくというメカニズムが、作動しているように見える。
上記は、ドイツでの銃乱射事件に関する記事での文言ですが、そこに通底する含意は、現在、世界各地で起きていること、および、わが国で起きていることにも相通ずるものがあるように思います。
「報道の自由が侵されている」という主張もあるようですが、むしろ、自ら避けている部分もあるのではありませんか。
>その部分は公にははっきりと語りにくい部分である。
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イランは第二次大戦後も「アーリア人」概念が強く残った。パーレビ国王が「イラン人はアラブにあらず、アーリア人なり」と、ことあるごとに自国民の優位性を謳ったからだ。ホメイニ革命後、数多くのイラン人が世界各地に亡命したが、NYでもワシントンでも「亡命イラン人は扱いが難しい。なまじ学がある分、傲慢でうるさくて」と陰口を叩かれていた。
トルコ系児童が徒党を組んで行ういじめは凄まじい。地区によってはドイツ人児童も容赦なく標的にされ、心身ともにボロボロにされる。訴えても、人種差別になってはいけないと当局は及び腰。資力が許す家庭から抜けていき、結果的に棲み分けが進む。
一般的ドイツ人は外国人とかかわると厄介なことになるとして、非ドイツ人をみると「そこに誰も存在しないかのようにふるまう」ことがある。トラブルの現場ならなおさらである。その態度たるや、「トラブルを起こす外国人は犬以下」とでも言いたげだ。
今回の事件がテロと認定されなかったのは「報復殺人&巻き添え」と解釈された可能性もある。