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投稿者:imomushi2016年09月07日21時23分
遅ればせながら、やっと映画「シン・ゴジラ」を観てきました。

スクリーン上で展開する映像とストーリーは、暗喩に満ちているようで、観る人それぞれに、様々な連想を引き出すようです。荒唐無稽な空想物語を、荒唐無稽と切り捨てがたく支えているのは、高度なメタファーの成せる技でしょう。

さすがに、「憲法9条をゴジラにかざせば1発でチョンだ」という主張は登場せず、やはりと言うべきか、自衛隊が前面に出てゴジラと相対します。ただし自衛隊の武器だけでは歯が立たず、様々な才能を持つ者の知恵と、その知恵を実現する組織力・行動力の連携によりゴジラを“退治”します。退治はしますが被害は甚大で、多くの人命も失われたのでしょう。

空想の世界では「空想的憲法論」は主役に成り得ず、ゴジラと対峙する現実解が求められる。
それに対し、(日本の)現実世界では、空想的憲法論(=自衛隊は違憲、人殺し)が我が物顔で幅を利かし、目の前で起きている現実に対して「目を塞ぐ」。