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投稿者:imomushi2017年06月29日09時31分
その人の顔を見ずに、「バーナード」「ロバート」「ヴィンセント」と言った名を聞いたとき、どんな顔を思い浮かべるか。おそらく大多数の人は、第一ステップとして「西洋人の男」からスタートし、もう少し具体的な顔立ちに進むかも知れません。しかし、真っ先に中国人の顔を思い浮かべる人は、極めて希でないでしょうか。
本記事に登場する上記名は、いずれも中国系。

自分もかつて仕事柄、外国人に接したことがあり、中国系の人もいました。名刺を見ると洋風な名の人もいました。中には姓と名の両方とも洋風名の人もいました(覚えやすい)。無論、中国名そのままをアルファベットで綴った人もおりましたが、なかなか読みにくい。

そのとき感じたことは、中国人というのは、世界相手に、多様な人種と仕事をしていく上で、必要とあらば、自らの名さえも変えるのだな、と、かすかな驚きを覚えました。
しかし、日本人で名を変えた人に会ったことがない(芸能人は別)。

香港。「一国両制」の残り時間は少ないはず。「両」の文字が消え香港が片づけば、次は台湾で「両岸」の文字が消えるのでしょうか? この激変の過程でまた多くの「華僑」が生まれ、世界に流れ出して行くのだろうか。洋風な名を名乗り。

一方で、それだけ中国共産党の威光が世界を支配し、没落様相の米国を尻目に「共産党支配」が定着したとするなら、冒頭に挙げた三人のような人名は、洋風をかなぐり捨て、本来の中国名を名乗る時代が来るのか。(それが中国の夢か)

亡命中国人を含めた華僑全体は、中国礼賛派と、反中国共産党派に二分されるのだろうか? それが長い年月と共にどのように変容してゆくのだろう。それはそれとして、中国共産党による独裁は永遠か? 
中国系実力者の行動原理は、国家に対する帰属意識か、それともハイパー独裁権力に対する従属意識か、はたまた単なる損得勘定か。目が離せません。

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投稿者:kinoppy272017年06月29日09時50分
華僑諸兄にとっては、「政治に振り回される」比率を下げつつ、
「政治を利用する」比率は高くしておくと言うのが、体質的な行動
原理でありましょうか?
変転極まりない中国数千年の権力闘争も含めた中国の政治史を
華僑諸兄は認識し、現時点の政権諸君の権力が、永久に
継続するかどうか?見つめているのでしょうね。