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投稿者:
taka_0901
2017年08月30日12時50分
imomushiさんのコメントを拝読して、びっくりしました。
この対談のどこをどう読めば、韓国・朝鮮民族を称賛し、安倍政権をおとしめていると受け取れるのでしょう。
私には、日本人の常識では理解しがたいかの国のひとびとの特徴について詳しく説明しているに過ぎず、おふたりがその中身を賞揚しているようにはとても読めません。「時空を超えた正義感」があるから、いつでもゴールポストを動かし、最終的な解決にならない。そのことを、平井さんも小此木さんも是としているでしょうか。彼らはそういう思考のひとびとなんだ、だからそこを考慮しながら付き合っていく必要があるのだ、という論旨だと、私には思えるのですが。
そしてそれ以上に、平井さんと小此木さんは対談の中で、「レッテル貼り」の危険性について触れています。同感です。貼り付けた「レッテル」にとらわれて、それで思考停止してしまったら、なんの進展もなくなってしまうのではないでしょうか。
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安
投稿者:
安 藤
2017年08月28日14時09分
韓国人の反日行為にデメリットを
文在寅であろうとなかろうと日韓関係の将来は明るくないと思います。日本と韓国は価値観以前のものが違いすぎます。
嘘をついてはいけないとか約束は守らなければいけないとか、人の物を盗んではいけないとか、自分がしていないことを相手に要求してはいけないとか、およそ人としての最低限のことを韓国人は守れません。こんな人たちと良好どころか、まともな関係が築けるはずがありません。
彼等は日本人が友人に選ぶ相手ではありません。隣人とは喧嘩は避けるべきですが、それ以上である必要はありません。韓国人が望んでいるような、深入りした特別な友好関係などは不要・不可能です。ではどうしたら良いでしょうか。
政府・民間が主催・協賛する、各種の日韓交流・友好行事を中止するのが一番効果があると思います。
以前、竹島問題で日本が領有の主張を教科書に記載したり、竹島奪還式典に政府代表が出席したことに抗議して、韓国側が各種の日韓友好・交流行事を一方的にキャンセルしてきたことがありました。これに対して日本側が無視して何の妥協的措置も執らなかったところ、韓国側は大変驚き以後一方的キャンセルをすることは二度とありませんでした。
彼等は日本との交流行事を切望しており、日本側も同様だと勝手に思い込んでいたわけですが、事実はそうでないことを知らされ大ショックを受けたのです。
韓国人が反日行為、嫌がらせ行為をやめないのは「反日」にデメリットがないからです。いまや反日のメリットはほとんどありませんが、デメリットがないというのが大きいと思います。
反日が大きなデメリットを伴うことと、日本政府と日本国民を別けて考えるなどという詭弁が通用しないことを思い知らせることが必要だと思います。
(韓国・朝鮮 http://www.kcn.ne.jp/~ca001/D.htm )
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投稿者:
imomushi
2017年08月26日21時50分
本記事の論調を、読む前に予想し、読後、特に意外感もなく、さもありなん、との印象を持ちました。以下引用が多く、少々長くなりますので、4回に分けて投稿します。
曰く、《日本の議論も相当にひどかった。拉致問題があるから、日本人はどうしても感情的になってしまいます》、《日本の役割は(略)北朝鮮との関係を改善して、朝鮮半島に安定的な国際システムを構築する、ということです。(略)国交正常化し、経済協力を提供すれば、日本の立場は格段に強化されたことでしょう》、《トランプ政権の政策に積極的に同調しているのは、日本の安倍政権だけでしょう。(略)トランプ政権の方が安倍政権よりましだと思います。》
と言う具合に日本の非を指摘し、安倍政権の“誤った政策”を非難しています。
更に読み進めましょう:
曰く《韓国が持つ制約性と可能性を、ぼくたちはもう少し客観的に見る必要があるのではないか》《100万人以上もの人が広場に集まる(略)そういう運動が歴史を作ってきたという事実があるわけで、韓国人はそれをコンセンサスとして持っているわけですよ。今度の「ろうそくデモ」も、その延長線上にあるんだという考え方ですからね。(略)欧米の政治思想の影響を受けた結果ではなく、(略)(韓国の)国内にあった伝統的な政治文化に由来するように思います》
と、西洋からの借り物でない韓国の伝統的政治文化の賜(たまもの)である「ろうそくデモ」を賞賛しています。同じ民族である北朝鮮でも、やがてデモが花盛りになるかも知れません(いや、整然としたパレード風のデモならとっくの昔からある)。こうして見ると、日本はデモさえできない落ちこぼれの国のようだ(シールズガンバレ)。
(続く)
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投稿者:
imomushi
2017年08月26日21時52分
続き(2)
更に:
曰く《彼らは時空を超えた正義感を持っていて、そこに民族的な価値が加わる。(略)韓国の場合は、それを過去に遡及して追及していくというエネルギーが、われわれよりもはるかに大きい》
と、韓国・朝鮮民族の正義感の強さと実行力を賞賛しています。・・・近年、韓国軍がベトナムで犯した犯罪はどこに消えたのだろう。
続けて:
曰く《そうですね。その遡及して正義を確定するというのがすごいですね。(略)だから、慰安婦問題についても、政府間で合意が成立しても、被害者が納得しない限り、それは「最終的な合意」にはならない。(略)「ゴールポスト」は固定されない。(略)そういう政治文化なのです》、《その意味では、日韓関係にとって重要なのは、相手の立場に少し立って考えるという思考法を、われわれが持つことが大事だと思いますね。(略)「最終解決」だと盛り込めば、本当に最終解決になると考えるのが単純です》
以上より本対談の結論:
1)韓国は慰安婦問題で日本を千年恨む正当な権利がある。
2)日本人拉致問題は忘れろ(=拉致被害者は日朝友好の“障害物”だ)。
3)アベが悪い(=アベを支持する日本人が悪い)。
と読めました。
(続く)
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投稿者:
imomushi
2017年08月26日21時56分
続き(3)
3年前のこと、セウォル号の沈没事故がありました。その時、同じ著者(1名)による記事《「自画像」に直面した韓国:「歴史の端境期」に起きた「セウォル号事故」の悲劇」》が掲載されました。その記事で、縷々事故の状況と背景などを詳述し、締めくくりとして、《「日本の恥ずべき自画像」》を渾身の力をこめて書いています。
曰く《韓国に10数年住んだ者として、この原稿は書くのが辛く、筆が進まなかった》、《私が韓国での生活が好きだったことの1つに、韓国のある種のルーズさが自分の肌に合っていた部分があった。ある種の「いいかげんさ」は全てが悪いわけではない。(略)韓国のルーズな文化にはゆとりがあり、それはしばしば人間的であったりする。(略)日本の文化は隙間をなくす「目張り文化」だが、韓国の文化は隙間を残す「隙間文化」だ。日本では規則やルールにより「どうにもならない」ことが、韓国では「どうにかなる」ことが多い》
この著者は上記の如く、韓国文化の優位性を力説しています。この論法を当てはめれば、慰安婦問題は、今回の対談のように国家間の合意など遵守する必要は無く、何度でも“最終解決”ができることになります。法や規則・ルールより「感情優先」を良しとする「隙間文化」という訳です。一方で、日本人の拉致問題に対しては《感情的になるな》と「目張り文化」を適用しようという訳です。この両文化の使い分けの妙を基調とした対談として読みました。つまり一方にはルーズを認め、他方にはルーズを認めないというルーズな対談に見えます。
(続く)
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投稿者:
imomushi
2017年08月26日22時00分
続き(4)
ジャーナリストの目を通して見た日韓関係、あるいはジャーナリスティックに見た日韓関係と、事業などを通した付き合いから見える日韓関係が必ずしも一致するとは限りません。むろん事業での付き合いから見える範囲は、一面にすぎないことも事実です。フォーサイトの読者の中にも仕事柄、韓国の企業・人と付きあった方もおられると想像します。自分も仕事上の付き合いはありました。今では世界的な企業になっていますが、その躍進の当初から関わりがありました。先方の工場長は見るからにエネルギッシュな方。ある程度年配のせいか日本語が堪能でした。水源(スウォン)を「日本語でスイゲンですね」などと説明してくれました。従業員食堂の雰囲気も日本風。
韓国人の皆さんへ:
悪役としての日本を必要としない韓国は、すぐ手の届くところにあるのです。双方のジャーナリストが発する誘惑的な言葉に酔いしれていると、いつまで経っても真の自立は指の間からこぼれ落ちてしまいます。自信に満ちた人は悪役を必要としません。そのように身を処している人物が貴国にも多数おります。目を向けるべきは、そちらの方向です。
日本人の皆さんへ:
拉致被害者も高齢化の波で、やがて1人去り、2人去りと消えてゆくでしょう。ブルーリボンを快く思わない勢力もいて、たとえば悪徳弁護士の襟にブルーリボンを付けたドラマを流し、拉致被害者と安倍首相を一網打尽に「悪」のレッテルを貼ろうとする動きもあります。惑わされない視力が重要になります。
相手におもねることが相手の為になるとは限りません。
(了)
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投稿者:
kinoppy27
2017年08月31日11時59分
連続対談という豪華な内容の中で、個人的に、一番含蓄のある指摘だなあと
感嘆したのは、この最終章でした。最終段落の「あいまいさ」「情の世界」
・・・比較民俗学的な視点というべきかなあ、「面白いなあ」、
「アジアと言っても、多様だなあ」と痛感しました。
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この対談のどこをどう読めば、韓国・朝鮮民族を称賛し、安倍政権をおとしめていると受け取れるのでしょう。
私には、日本人の常識では理解しがたいかの国のひとびとの特徴について詳しく説明しているに過ぎず、おふたりがその中身を賞揚しているようにはとても読めません。「時空を超えた正義感」があるから、いつでもゴールポストを動かし、最終的な解決にならない。そのことを、平井さんも小此木さんも是としているでしょうか。彼らはそういう思考のひとびとなんだ、だからそこを考慮しながら付き合っていく必要があるのだ、という論旨だと、私には思えるのですが。
そしてそれ以上に、平井さんと小此木さんは対談の中で、「レッテル貼り」の危険性について触れています。同感です。貼り付けた「レッテル」にとらわれて、それで思考停止してしまったら、なんの進展もなくなってしまうのではないでしょうか。