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投稿者:iumemoto2017年10月03日10時14分
文脈からペトリは「穏健派」とわかりますが、従って「前者」ではなく、「後者に分類される」ですよね?
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投稿者:AKBN232017年10月03日11時57分
ドイツの「右派進出」の状況がよく分かりました。
ペトリに続いてAIDを離れた者の状況と、離れなかった「穏健派」の考えなどを、続報で期待しています。
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投稿者:imomushi2017年10月04日09時18分
「極右」という“通称”は、だれが付けたのだろう? 当事者が自ら名乗った“美称”とは思えない。他者の命名とすれば左筋(および中間)からで、尊称や敬称ではあり得ず“卑称”がいいところでしょう。侮蔑と危険視が込められているようだ。

片や「極右」。対するはメルケル。世評によればメルケルは人類愛に満ちた守護神として、難民をいたわり、広い心で制限無く受け入れた。それに対する反動として「極右」が“増長”した。この“増長”を忌まわしいものと喚起する意味で、「極右」を冠したのではないか。
であれば、「極右」躍進の功労者であるメルケル的人類愛と、その落とし子である「極右」と、いずれが優れているか?
ベトナム戦争を主導したマクナマラは後日、「あれは間違いだった」と言った(双方で多数の死傷者を出しておいて)。仮に後日、メルケルが難民政策を振り返ったとして、何と言うか。「あれは間違っていた」と言うか言わないかは別として内心で何と思うか。
ユダヤ人に対する罪の意識がドイツ人にはあるのでしょう。その「ユダヤ人」と同じような対象を「難民救済」という形で抱え込んだのではないか。その難民の安全(およびドイツ人の安全)をメルケルは、メルケル後も含め、どのように保証するのだろう。“不心得者”に対し「極右」という卑称の帽子をかぶせるだけでは心許ない。
投稿者:フォーサイト編集部2017年10月03日10時29分
フォーサイト編集部です。

iumemotoさん、ご指摘の通り「前者」ではなく「後者」です。編集部の誤りでしたので、修正しておきました。ご指摘を感謝申し上げますとともに、今後はこうしたケアレスミスのないように努めます。