t
投稿者:tm2018年04月02日21時14分
オーストリアの首都ウィーンは過去にオスマントルコに攻め込まれたこともあり純粋な西欧文化の最果ての地との印象があります. 戦後は生き残りを掛けて国際機関を誘致、OPEC 本部もジュネーブからウィーンへ. オーストリアはソ連邦崩壊後、NATO と協力関係を持っていたのでもっと西側寄りなのかと考えていました. 強国と対峙するには団結するしかないと思いますが、その団結がゆらぐようだと、切り崩されてしまわないかと不安になります.

どちらの側につくかは、様々な得失を考慮した末だとは思いますが、その結果立ち位置が定まらないようだと信用を失ってしまうかと思います (民主党政権の初めはひどかった). イソップ寓話の卑怯なコウモリの様にはなりたくないものです.
i
投稿者:imomushi2018年04月03日09時27分
コメントに「オスマントルコ」が出てきて、つい思い出したので:

米原万里さんの著作「白い都のヤスミンカ」(*1)。
ヨーロッパの国々では、それぞれに過去の歴史が今に受け継がれている面があるようです。大海に浮かぶ島国の住民たる我々の目に、それがどのように映るのだろうか。

ヤスミンカ(ジャスミン)と言う名の少女が学友に語った民族の物語。オスマントルコの軍隊が攻めて来た。トルコ軍は「白い都」を見て、あまりの美しさに戦意を喪失し、引き上げていった。と言う童話のようなお話を受業の課題で語ったものです。

米原万里さんついでに、もう一つ、ロシアの小話(*2)。
「父ちゃん、酔っぱらうってどんなことなの?」
「ここにグラスが二つあるだろう。これが四つに見えだしたら、酔っぱらったってことだ」
「父ちゃん、そこにグラスは一つしなないよ」

---
*1:『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』
*2:『ロシアは今日も荒れ模様』