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投稿者:nekosuki2018年11月27日16時56分
生身のゴーン氏像に触れる思いで大変参考になりました。このような事件が起きると得てして外国人経営者は強欲で派手で野心家であるというイメージを抱きがちですが、ミシュラン創家の人たちの人間像はゴーン氏と対極にあるようで、外国人経営者と言えども人さまざまであるという当たり前のことに気付かされた思いです。 幕末、初めて外国人を見た当時の人々が外国人に抱いたイメージも同じようなもの、否それ以上のものだったのではなかったかと変に感心しています。国際化が進んだ今日ですが、私たちの無意識の意識の中には鎖国に慣れ親しんだ幕末の人々の遺伝子に似たものが密かに根強く住み着いているのではとも思います。日産はこれからどのような道を進んでいくのか。あわせてグローバルの時代に日本人としてのアイデンティティを失わずに世界と伍していくとはどういうことなのか改めて考えさせられます。
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投稿者:naturalist2018年11月27日17時47分
レバノン人は昔のフィニキア人でヴェニスにレバノン杉を輸出していた商人です。かってはフランスの植民地で首都のベイルートはリトル・パリと呼ばれる美しい町でした。レバノン人はフランスに溶け込みやすく優れた商人として評価されています。ゴーン氏は優れた適応能力で海外で成果をあげてフランスで高い評価を受けていました。元々保守的な地方都市クレモン・フェランに居を構えるミシュランの慎ましさとは縁の遠い人だったのでしょう。ゴーン氏は持ち前の能力を発揮して日産を立て直しました。その能力は隙だらけの日本で私腹(親族,レバノンやブラジルなど彼の故郷をを含めて)を膨らませる為にも発揮されました。今後もしっかりと議論を戦わせて落ち着くところに落ち着くものと思われます。
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投稿者:Feが趣味2018年11月30日20時38分
>創業家が敬虔な信者であることが影響して、ミシュランは厳しいカトリックの倫理に覆われた企業である。
レバノン・ティロスの島に立てこもったフェニキア人(ティロス人)・フェニキア海軍とアレキサンダー大王の間でティロス攻防戦が7か月に渡り戦われている。中近東の港湾都市でアレキサンダー大王に反旗を翻したのは、ティロス人のみで有った。陥落の後、ティロス人に対する処置は過酷なものとなった。フェニキア人はこれからも解るように、気性の激しい反逆精神の旺盛な人達たちと思われる。この当時、ティロスはフェニキアの首都であった。ローマ時代にもフェニキア人(ティロス人?)の国カルタゴがローマ帝国と戦い大いに苦しめて、跡形なく粉砕されている。フェニキア人は有名な大帝国と2度も戦争をしている凄い人たちである。
カルロス・ゴーンの祖父が生まれたのはキリスト教マロン派の多いレバノン山地の麓だった。ここは、レバノン杉が繁茂する景観に恵まれた土地であった。マロン派キリスト教はローマカトリック教会の傘下にありながらも独自の組織や東方教会的な典礼を維持している宗派だ。カルロス・ゴーンもキリスト教マロン派である様だ。キリスト教マロン派はレバノンでは3割を占めており、レバノン政界を支配している様だ。海外に出たレバノン人の教育は、国に子供たちを戻して教育している。カルロス・ゴーンも6歳から17歳までベールー
トのカトリック系の一貫校で学習した。この間に、フランス語を習得し、レバノンの空気を体に染み込ませたと思われる。フェニキア滅亡から時間は経過したが、彼らの気性の激しさや反骨精神は今でも健在なのではないか。単純にミシュランの厳しいカトリック倫理に従うとも思えない。お粗末でした。