今日は2003年4月22日?

執筆者:白戸圭一2010年12月30日

 大晦日の今日は2003年4月22日------などと書くと、何のことやらさっぱり分からないでしょうが、西暦2010年12月31日(平成22年12月31日)をエチオピア暦で記述すると、このようになります。年の最後は政治経済の話から離れて、サハラ砂漠以南ではナイジェリアに次いで人口が多いエチオピアの文化について書きます。

 たとえ貧しく政情が混乱していようと、自国の文化や歴史に誇りを抱いている点は、アフリカの人々も日本人と同じです。そんなアフリカの国の中でも、とりわけ強い愛国心を抱いているのはエチオピアの人々ではないでしょうか。
 「私たちはアフリカで唯一、植民地になりませんでした。独自の暦を持ち、古代から独自の文字を使い、世界最高水準の教会建築があります。他のアフリカの国々と比べないで下さい」
 エチオピアの首都アディスアベバで出会った若い男性が、胸を張りながら私にそう言ったことがあります。

 若者の言葉に盛り込まれた要素を順番に説明していくと次のようになります。

 まず「植民地にならなかった」について。サハラ砂漠以南アフリカには、エチオピア、南アフリカ、リベリアという「植民地ではなかった国」が3カ国存在します。
 1910年に独立した南アは、少数の欧州からの移民の子孫が多数のアフリカ人を支配するアパルトヘイト体制を成立させたことにより、1994年の民主化まで国内に植民地的な社会構造を抱えていた国でした。また、西アフリカの小国リベリアは、米国の解放奴隷の子孫によって1847年に建国された国でした。南アもリベリアも「アフリカの普通の国」ではないのです。
 これに対し、エチオピアはムッソリーニのイタリアに1936年から5年間占領されたことを除けば、一貫して独立国家としての地位を守り抜いた希有な国です。

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