チュニジア「ジャスミン革命」の衝撃は、長期政権が連なるアラブ世界の街角を伝って、街道を揺るがせ始めた。今その発火点は、治世30年に及ぶエジプトのムバラク政権の足元にある。この30年で激しく変化してきたエジプト情勢において、ムバラク政権の制度疲労ぶりは国際社会の懸念を集めていたのだが、限界がみえてきた。

 チュニジアの前ベンアリ政権にしてもムバラク政権にしても、大統領一族が政治と経済を支配して“王朝”化するような体制を「権威主義体制」と呼ぶ。王的な支配は、その絶頂期においては挑戦者をもたないが、ひとたび不満と嫉妬に火がつくと、政権交代要求を超えて“王殺し”の様相になる。

 先進諸国の民主主義政権であっても、権力はつねに「権威」をまとっている。公式の場で大統領や首相をファーストネームで呼びすてにしたりはしない。統治行為における権力は敬意を要求する。ただ、民主主義体制にあっては、統治は法に基づいて行われなければならない。法が権威に優先するのである。これが逆になっているのが権威主義体制で、権威が法に優先している。

 権威の源とはなにか。その昔ヨーロッパにおいて宗教的権威から抜け出した国家は、神から統治を命ぜられた王権神授の絶対王政となった。つまり、統治のための権威をやはり神に求めたのである。しかし、その後絶対王政を倒した市民革命は、統治権の源泉を「国民主権」という新しい概念に求めた。ここにもう神はいない。

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