ムスリム同胞団はAKPのような「現実感覚」をもてるか(エルドアン・トルコ首相)(c)AFP=時事
ムスリム同胞団はAKPのような「現実感覚」をもてるか(エルドアン・トルコ首相)(c)AFP=時事

 エジプトはじめアラブの国々の政情激変のなかで、その解決のモデルをトルコに求める動きが出ている。確かに、アラブだけでなく民主化を渇望するイスラム世界にとって、独特な世俗主義と議会制民主主義を成功させたトルコの歴史的経験は参考になるかもしれない。しかし、問題は2つに分けて考えねばならない。第1は、イスラム国家たるオスマン帝国の解体によるトルコ共和国の成立を正当化する世俗主義(ライクリッキ)の評価にかかわる問題である。第2は、イスラム主義から出発しながら政権を掌握した公正発展党(AKP)の議会制民主主義への適合問題である。

世俗主義と「管理された民主主義」

 政治や教育を宗教から切り離す世俗主義は、フランスのライシテ(政教分離原則)に学んだ初代大統領ケマル・アタテュルクと、その支持基盤だった国防軍の理念そのものであった。このために、政局が混迷を深めると世俗主義を中核とするケマリズムの守護者として、軍は1960年と80年に実力によるクーデタを起こし、71年には書簡によるクーデタを成功させたのである。しかし、国防軍の政治介入を許しがちなケマリズムはそのままでは民主主義の政治理念になるはずがない。この意味でもトルコの世俗主義は、国民のイスラム信仰にさえ懐疑的なエリート軍人による「管理された民主主義」と不可分の性格を最初からもっていた。
 国防軍参謀総長が共和国大統領とほぼ同格で国家安全保障会議(MGK)を構成し、外交と安全保障の基本方針を決める「管理された民主主義」の政治体制は、そのままエジプトはじめ新たなアラブ国家の民主化モデルにはなりえない。しかも、およそ5年に1度定められる「安全保障政策文書」は、「赤書」(クルムズ・キタプ)と呼ばれるが、原則的に公開されずトルコで「いちばん神秘的」とされる重要公文書になっている。国家の外交や安全保障の骨格や基本方針を秘密にする政治体制は、民主主義というよりも権威主義に近いものであり、欧米や日本のシビリアン・コントロール(文民統制)と異なる性格を帯びていた。こうした世俗主義や「管理された民主主義」は、事実上の終身制に加え世襲化現象さえ生んだアラブの「王朝的共和制」よりは進歩的だったかもしれない。とはいえ、旧宗主国でもあるトルコの体験そのものを、独立したアラブの誇り高い人びとが模倣する可能性は少ない。むしろ、エジプトはじめアラブの共和国にとって教訓とすべきは、政権を担当しているAKPの成功経験であり、それを支える幅広い有権者の意識や行動様式の特質にほかならない。

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