どうすれば「強くて賢明な首相」を選べるか

執筆者:待鳥聡史2011年8月18日

 小泉純一郎政権が終わった2006年以降、日本政治は短命政権の連続に悩まされてきた。より深刻な問題は、多くの首相が奇妙な形で退陣していることである。ここで奇妙な、というのは、辞任時期の予測がごく直前まで難しかったことを指す。安倍晋三は参議院選挙での惨敗後いったんは続投の意思を示しながら、選挙後初の国会開会直後に突然辞任した。福田康夫は大連立を目指したものの挫折し、内閣改造を行なった1カ月後の夜に辞任を表明した。政権交代後も、鳩山由紀夫は社会民主党の連立離脱後、当日の朝刊にまで「続投に意欲」と書かれながら民主党両院議員総会で辞意を表明した。菅直人に至っては辞意表明後2カ月以上経って、ようやく辞任の決断をしたとされる。
 従来も多くの首相は総選挙結果以外の理由で退陣してきた日本政治だが、進退の見通しがこれほどまでにつかなくなっているのはなぜだろうか。

小泉政権期と同じように強い首相権力

権力の強さは今も変わらない(首相退任後、鳩山、菅両氏と握手する小泉氏。2006年)(c)時事
権力の強さは今も変わらない(首相退任後、鳩山、菅両氏と握手する小泉氏。2006年)(c)時事

 首相すなわち内閣総理大臣は明治憲法体制期から存在するが、その地位は2度にわたって大きな変化を経験している。最初は、第2次世界大戦後の新憲法制定による議院内閣制の採用である。2度目の変化は、1990年代の内閣機能強化である。後者によって、首相と閣僚の間の上下関係が明確化されるとともに、内閣官房と内閣府が首相主導の政策立案をサポートすることになった。衆議院多数派が与党として支える首相が、政策立案過程で中心的役割を果たすことが制度的に可能になったのである。  その効果が端的に表れたのが、2001年に発足した小泉政権であった。内閣府に特命大臣として竹中平蔵、幹部官僚として大田弘子といった人々を政治任用して、首相が議長を務める経済財政諮問会議を活用しながら大きな政策転換を行なった。それは、制度的に強化された首相のリーダーシップがなければ不可能であっただろう。「首相支配」「官邸主導」といった言葉が多用されるようになったのも、この時期のことであった。  ポスト小泉の首相たちも、官邸主導を継承しようとした。首相補佐官制度を活用しようとした安倍、経済財政諮問会議に代わり国家戦略局設置を謳った鳩山はその典型である。そして、実際にも首相の権力は小泉政権期と同じように強い。安倍の教育基本法改正や鳩山の米軍普天間基地移設問題など、首相が個人的な思い入れから取り組むと主張した政策課題に与党は追随せざるを得なかった。東日本大震災後の菅によるエネルギー政策転換も、思いつきだと批判されながらも正面切って止められる与党政治家はいない。ましてや、これらの課題設定に官僚の影響力はほとんど見いだすことができない。

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